19.若山牧水

宮崎の歌人若山牧水は、1885年(明治18年)日向市東郷町大字坪谷で生まれました。
写真は、耳川の支流、坪谷川です。2006年5月25日撮影です。
坪谷川は非常にきれいな川です。今では数少ない故郷の川ですね。
川面を見ていると、ウサギ追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川、と一曲歌いたくなります。
また下流の耳川もきれいな川です。川沿いに、住宅密集地がないため、水は青々としています。
九州最後の清流です。


また山並も美しい。ここは宮崎県の中央部に位置的し、尾鈴山(1405m)の裏側になります。
牧水は、故郷の美しい山、川を見ながら少年時代を過ごしました。

坪谷川から県道を隔てた所に、牧水の生家があります。
牧水は地元の学校を卒業すると、早稲田大学文学科へ入学しました。そして自分の歌集を出版しました。
私は文学は詳しくありませんが「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」と言う歌は知っています。
いったい、いくつの山や川を越えれば寂しさから解放されるのだろう?無駄だと知りながらまた今日も旅に出てしまった、という意味でしょう。
南九州では、お酒(焼酎)の好きな人を「しょつのんごろ」と言いますが、牧水も、しょつのんごろだったようです。一日、一升呑んだという話もあります。
私が、一晩二合半くらいですから、とてもかないません。
また牧水は、旅と自然がすきでした。日本各地を旅したため、各地に彼の歌碑があります。おそらく夜晩酌をすると、感傷的になり、自分の心を歌で表現しようとしたのでしょう。自分の心に正直な性格だったようです。
焼酎と旅と自然が好きなところは、私と共通点があります。人ごとではない気がします。
結局牧水は、酒が原因で肝硬変になり、43歳の若さで沼津で亡くなりました。

牧水はこの縁側で生まれたそうです。そこまで記録が残っていたのでしょうか。
生まれる場所は、だれにも分からないものだと思いました。

生家の外壁は防腐剤が施してあり、建物の保存に工夫がしてありました。

家の内部です。柱と天井は昔のままですが、ふすまと天井は新調されていました。
牧水のお父さんは医者でした。患者は、手前の囲炉裏にあたりながら順番を待ちました。
その向こうに、牧水が少年時代使った机があります。

家族はここで囲炉裏を囲み、団らんのひとときを過ごしました。

話が脱線しますが、私が思うに牧水は、プロレスラーの馳浩志に似ています。特に若い頃はそっくりだと思う。

40〜50代の人は、小学生の頃こういう川で、はずすと目元に跡がつく二つ目の水中メガ                                                                ネをつけて、海パン着て川に潜って、ナマズを捕まえた経験ありませんか?