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ローラは ぼくの光
相 性

 山上タケシは盲学校中学部の一年生。まだ入学してから三週間し

か経っていない。

 今日は第二土曜日。これから盲導犬協会に出かけるところだ。

 三時間後の昼前、目的地の駅に着いた。

「ラーメンでも食べるか」

 昨夜おそくまで宴会があり、父さんは朝食を食べなかったらしい。

 駅前のラーメン屋で腹ごしらえをしたあと、タクシーで向かった。

 盲導犬協会は駅から近いようだ。二、三分で着いた。

「タケシ君いらっしゃい」

「やあ、久しぶりだな。タケシ、所長の田中さんだぞ」

 タケシは黙って頭をさげた。

「山上先輩、ほんとうに久しぶりですね・・・・・」

「今日は無理いってすまん」

「いや、さあーどうぞどうぞ」

 どうやら田中さんと父さんは旧友だったらしい。

 挨拶もそこそこに応接室に通されたが、犬の鳴き声ひとつしない。

「こちらは訓練士の青山さんです」

「本日はよろしくお願いします」

 父さんの挨拶に、青山さんは目礼したようだ。

「あのう、犬はいないのですか?」

ソファーに腰かけたタケシが、やぶから棒に質問した。

「六十頭ほどいるけど、どうしてかな?」

「あんまり静かだから」

「タケシ、盲導犬は吠えたり、鳴いたりしないように訓練されているんだ」

 父さんの声が途切れたあと、田中さんが振り返ったようだ。

「青山さん、ローラをつれてきてください」

「はい所長」

 返事して、青山さんの立ち去る気配がした。

「ローラはラブラドルレトリバーで、黒毛のメス。二歳になります」

 田中さんの説明を聞いてる間に、青山さんが引き返してきたらしく、

゛ウエイト゛と、威厳に満ちた声がした。

「タケシ君゛ローラ・カム゛(ローラこい)と声をかけてみて」

 そういって、田中さんはタケシの肩をポンと叩いた。

「゛ローラ・カム゛」

 いわれたとおり、タケシは声を張った。

 すると、ローラはタケシの足元に擦り寄ってきた。

「よし、よし」

 思わず声をかけて、タケシは手探りしてローラの頭を撫ぜた。

 ローラはタケシの手をペロペロとなめた。

「タケシ君とローラは相性がいいようだね。・・・・・・ちょっと

歩いてみるかい。青山さん頼む」

 田中さんのその声で、青山さんはタケシを立たせ、ローラの背中

につけあるハンドルを左手に掴ませた。


「タケシ君、゛ゴー゛(進め)と命令してみて」 

 青山さんの指示どおりすると、ローラはタケシを誘導して歩き出
 
した。

 ローラが予想以上に速く歩くので、タケシは驚いて、とっさに立ち

止まってしまった。

 すかさず、後方から青山さんの声が飛び込んできた。

「こわがらずに犬の横にぴたりとつく。そして、もっと背筋をのばし

て」

「゛ゴー゛」

 ローラにひっぱられるような感じで、タケシは歩いた。最初はこわ

ごわとした足どりであったが、馴れるにしたがって晴ればれとした

気分になった。

 ローラはすばらしい盲導犬だ。玄関前では、゛ドア゛(出入り口

へ)の命令にドアの前で立ち止まったし、ローラの首すじから鼻先

に手をもっていくと、そこにドアのノブがあるではないか。

 扉を開けて部屋に入ると、タケシは命令した。

「゛チェア゛(いすへ)」

 するとローラはソファーに誘導し、顎を乗せて「ここですよ」と

教えてくれた。

 タケシはローラがどうしても欲しくなった。

「盲導犬を貸すのは十八歳からなんだけれど、タケシ君は例外とし、

夏休みになったら共同訓練を開始しましょう」

「すまん、すまん。タケシ、お礼をいうんだぞ。ところで今夜は一

杯いこうか」

 父さんは手で酒を飲む仕草をしたようだ。

 一泊するつもりなので、夕方まで盲導犬の話を聞いた。

 盲導犬に適した犬種はシェパード、ゴールデンレトリバー、そし

てローラのようなラブラドルレトリバーだそうだ。

「生まれてから二ヶ月ぐらいでパピーウォーカー(一般家庭)に預

け、一年ばかり育ててもらうんだ」

「そうか、それで人間との信頼感が強くなり、社会に違和感なく適

応していくと、まあそういうわけか」

 父さんが話の途中で口をはさんだ。

 田中さんは話を続けた。

「その中で盲導犬として訓練するのは十頭中、五、六頭にすぎない。

さらに盲導犬として活躍できるのは、もっと少なくなるわけだ」

 人間に個性があるように、いろいろな性格、気質の犬がいるので、

盲導犬として適切な犬は数がぐっと減るそうだ。

「われわれはロボットのような犬をつくっているわけではない。だ

から、訓練士は一頭一頭の個性を十分に尊重し、愛情をもって訓練

しているんだ」

「うん、うん。タケシ、ここは大事なところのようだぞ」

「つまり、犬と人間の信頼関係がないとだめなんだね」

 タケシはうなずいた。

「ううむ、それに盲導犬としていくら優秀でも、貸し与えられる人

との相性が合わないと・・・・・・」

「そうなんだ。またいったん貸し出された犬がなんらかの理由でも

どってきたとしても、他の希望者にまわすというわけにはいかない」

「ははん、前の人の癖が残っているというわけか」

「それがやっかいなんだ。人にもいろんな癖があって、たとえば右

へ右へと押して歩いたりすると、それに対応した癖が犬にも残って

しまう。そうなると、再訓練しても・・・・」

「それじゃ、とても他の人には使えないだろう。優秀な盲導犬なの

にもったいない話だな」

「まして費用の面でも大変だし・・・・・ん、これぐらいだ」

 田中さんが指を立てたらしい。

「一頭の盲導犬を育てるのに三百万円前後もかかるのか。おまけに

無償で貸し出されるわけだ。ううん」

 父さんが唸った。

 タケシもこれにはびっくりした。しかもそれらは募金や寄付金な

どで運営されているらしい。

 一頭の盲導犬を育てるために、どれほど多くの人々の善意があっ

たことだろう。話を通して、タケシはそのことをひしひしと感じた。

「盲導犬を必要とする人は大勢います。その中で盲導犬をもてるの

は、ごく一部の人たちに限られている」

「まだまだ普及率は低いということか。資金面のこともあるだろうし、

適性犬の繁殖のことや長期訓練など、さまざまな問題もあるだろう。

しかし、なんとかしたいものだね」

 父さんが語尾を強めた。

 タケシはうしろめたさを感じながらも、ローラのことを考えると、

もくもくと明るい気持ちが沸きたってくるのだった。

「まちどうしいな」

 タケシがぽつりとつぶやいた。

 夏休みの共同訓練が楽しみだ。

 昨夜、田中さんと話がはずんだのか、父さんはだいぶ飲んだらし

い。

「二日酔いには、これが薬だ」

 帰りの列車の中で、父さんはカップ酒をグイッとあおった。

 タケシの鼻にそれがぷーんと匂った。 





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著者  さこ ゆういち