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共同訓練

 楽しみにしていた夏休みがやってきた。

 その日は雨が降っていて蒸し暑いにもかかわらず、タケシはいそ

いそとした気分で盲導犬協会の訓練センターにやつてきた。

「タケシ君には今日からここに泊まり込んでもらいますが、ローラ

の世話はむろん、自分のことは自分でしてもらいます」

「いよいよ共同訓練の開始か。タケシ、ひとりで大丈夫だろうな」

 所長の田中さんが義務づけたので、父さんが冷やかし気味の声を

かけ、肩をポンと叩いた。

「青山さんがローラの担当だから、タケシ君の指導も彼がします」

「青山さん、よろしくたのみますよ」

 挨拶して、父さんは帰っていった。

「シット すわれ 」

「ウェイト 待て 」

「ステイ 長い時間待て 」

 青山さんは命令語から教えてくれた。

 次の日の午前中は盲導犬との歩行方法、街の構造や車に対する交

通感覚などを学習した。

 午後からはハーネス「胴輪」のセット方法や使い方の学習だった。

「わたしが犬のかわりになるので、タケシ君は命令してみて」

 青山さんは親身になって指導してくれる。

 三日目、タケシとローラはグラウンドに出された。

「今日から服従訓練と誘導訓練を本格的に開始します」

 訓練が終わると、ローラは青山さんからタケシに引き渡され、一

緒に生活することになっている。
 
 一日四回の排便とブラッシング、食事の世話など、すべ

てタケシがしなければならない。

 五日目からは路上での訓練開始。ローラに引かれて行くタケシの

後を、青山さんが見守りながらついてくる。

 タケシの頭の中には、青山さんが教えてくれた地図がある。

「゛ブリッジ・コーナー゛(階段へ)」

 タケシが命令すると、ローラは歩道橋の入り口まで誘導する。

 タケシは失明してから半年ほどしか経っていないので、道路状況

についてはよくわかっていた。

 それが幸いしたのか、二週間も経つと、タケシとローラは意気投

合し、すらすらと路上を歩けるようになってきた。

「青山さん、ローラはハーネスをつけると、自分が盲導犬であるこ

とを自覚するんですね。つけていないときは、甘えてじゃれついて

くるんですよ」

 ローラを撫ぜてやりながら、タケシがうれしそうに語りかけた。

「ローラは仕事の時と、そうでない時の区別がわかるんだ」

 青山さんは手塩にかけてローラを訓練してきただけに、満足そう

な声で答えた。

 訓練も順調に進み、バスや電車の乗降もエスカレータの乗り降り

もスムーズにできるようになってきた。

 夏休み最後の日。四十日間にわたる共同訓練も今日で終わる。

「タケシ、すっかり日焼けして、明るくなったみたいね」

 タケシの変わりように、母さんが歓声をあげた。

「これも所長さんはじめ、みなさんのおかげです。誠にありがとう

ございました。また本日は共同訓練の成果を見せてくださるとのこ

と、楽しみにしています」

 母さんがいって、父さんと二人で深々とあたまをさげた。

 タケシはローラの誘導で、これから隣町に出かける。

 その後を父さんたち皆もついてくる予定だ。

「まあーこれは卒業試験のようなものです。・・・あるいはタケシ

君とローラの結婚式といってもよいでしょう」

 田中さんはそういって、ふふっと笑った。

 とたんにタケシの顔が赤らんだようだ。

「タケシ、恥ずかしがることじゃないぞ。これほどピッタリした言

葉はないじゃないか」
 
「そうよね。そうよそうよ」

「もう、母さんまで一緒になって。なんだかくすぐったいな」

 ふふふ、はっはっはっと、皆の口から笑い声が漏れた。

「ぼくとローラは一心同体、身体の一部です。では出発。・・・・

ローラ゛ゴー゛」

 タケシは道順にしたがって、ローラに命令した。

 歩道や車道を通り、歩道橋を渡る。駅から電車で隣町に行く。

 電車を降りると、ふたたび駅前の歩道を歩いた。

 ローラはタケシが危なくないように、放置自転車のために狭い歩

道を巧みに進んだ。

「ローラは上手に誘導するのね。わたしよりうまいわ」

 後ろ姿を見守りながらついてきた母さんは立ち止まって、思わず

涙を浮かべた。

「本当だね」

 父さんもそれに誘われて、足を止めた。

 タケシとローラは無事に目標の料理屋に着いた。

「タケシ君、合格だ。よく頑張ったね」

 中華料理店に入ると、青山さんがタケシの手を握りしめた。

「ここのご主人は盲導犬に理解があります。でも、ところによって

はレストラン、ホテル、など盲導犬の出入りを断られることもあ

るんですよ」

 中華料理を食べながら、田中さんがしゃべった。

「ほかの犬と違って、盲導犬は視覚障害者の身体の一部なのにね」

 くやしそうに母さんが唇をかんだ。

「しかりです。それに盲導犬はたとえ踏まれたとしても、噛みつい

たりするようなことは、けっしてしないし」

 父さんはうなずくと、八宝菜に手を伸べた。

「毛一本落とさないように手入れも行き届いて、マナーもいいし。

もっと盲導犬を理解してほしいものです」

 そういって、青山さんはお茶を飲んだ。

 この後、タケシたちと同行し、家にきてくれるそうだ。

「タケシ君の所在地にある官公庁や交通機関に盲導犬への理解と協

力を求めに行くつもりです。またローラの様子や道路状況も見てお

きたいし」

 青山さんもローラと別れるのは、我が子を手放すように、やはり

さびしいのだろう。





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ローラは ぼくの光
著者  さこ ゆういち