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ローラは ぼくの光

共同訓練を受けてから一年が過ぎた。

 タケシはローラに排便させ、後始末をすませると、ハーネスをセ

 ットした。

「゛ヒール゛(左につけ)」

 ローラは命令どおり、ピタリとついた。

 タケシはハーネスのハンドルを掴んだ。

「゛ストレイト、ゴー゛(まっすぐ進め)」

 ローラはタケシを誘導して歩き出した。

 盲導犬は訓練によって道の左端を歩くから、ローラも同様に誘導

している。

 五十メートルほど進むと、ローラが動きを止めた。

 盲導犬は曲がり角、交差点、横断歩道、階段などの手前で止まり、

「ここからですよ」と主人に知らせてくれる。

「゛グッド゛゛グッド゛(よしよし)」

 タケシはほめて、ローラの頭を撫ぜた。

 ほめられてローラもうれしそうだ。

 タケシは道順を思い描きながら命令した。

「゛レフト゛(左へ)」

 進むべき方向は、犬にわかるはずがないからである。

 二つめの角を右に曲がり、しばらく進むと、ローラがピタリと止

まった。

 タケシの頭の中にある地図では、まだまっすぐ進めるはずである。

 タケシは(ゴー)を連発したが、ローラは止まったまま動こうと

しない。

「なぜ・・・・・」

 しばらく思案した。

「そうか、なにかあるんだな」

 視覚障害者の会で聞いた体験談を思い出したのである。

「改装中とは知らないで、病院の五階の廊下を進んでいたんです。

犬が止まりました。まだ先へ行けるのはわかっていたので(ゴー)

と命令したんです。でも犬は動きません。わたしは変だなと思って、

人に聞いたんです。そこは渡り廊下の中間だったんですが、工事中

で空間ができていたそうです。いやあ命びろいをしましたよ」

 と、いうことだった。

 盲導犬が危険を感じたときは、たとえ主人の命令でも従わないわ

けで、これは不服従訓練の成果である。

 タケシは人の気配を感じた。

「道をふさいでちゃ、通れないじゃないか」

 気の強そうな声で、男の人が怒鳴った。

「すいません。配達していたもので、すぐ出します」

 バタンとドアーを閉める音がして、車が発車した。

「えらいぞローラ」

 タケシはローラが命令を無視したわけを納得した。

 ローラがいければ、ぶつかって怪我をしていたかもしれない。

 歩道にせり出した看板や放置自転車など、目のみえない人には通

行の邪魔になるだけでなく、危険でもあるのである。また予知でき

ない危険も常につきまとっているのだ。

 ローラが歩行を開始した。

 路地を抜けて、大通りの交差点で止まった。

 タケシは耳をすまして、周囲の気配を探った。

 車や通行人が動き出したようだ。

「゛ゴー゛」

 タケシがローラに誘導されて中央付近にさしかかった時、後から

話し声が聞こえてきた。

「信号機も確かめて、賢い犬だこと」

「横断歩道を上手に誘導していくわね」

 タケシは犬を誤解しているな、と思った。

 犬は色目で色の区別ができない。青信号を感知したのはタケシだ

ったからだ。

 タケシはパソコンの操作を習いに行く途中である。

 パソコンを薦めたのも、ソフトを依頼したのも父さんだ。

 ふたたび、路地を通っていく。

 やがて、システム開発の営業所についた。

 ローラがドアに誘導し中にはいった。

「゛ダウン゛(伏せ)」

 膝元にローラを伏せさせて、タケシはパソコンのスイッチを押し

た。

「ピポン、ピポン、ピッピッピータケシ君、元気かい」

 パソコンのスピーカーから音楽と音声がスライディングに流れた。

 音声誘導にプログラミングされたソフトを使う。

 低学年の頃より、ファミコンで遊んでいたし、小学校ではパソコ

ン学習もあったので、タケシはキーボードの操作も簡単に飲み込む

ことができた。

 タケシは教科の中でも特に国語が得意だったから、小学校六年間

で習う漢字を知らないわけではない。

「童話の創作もこれで可能だな」

 スピーカーからの音声で、タケシは漢字やひらがな、カタカナを

選択できた。

「ローラ、どんな物語にしようかな。そうだ、タヌキだ」

 タケシはローラの頭を撫ぜた。

 ローラがゆるやかにシッポで床を掃いた。

 タケシはパソコンの選択キーを押した。

(タヌキの棲む町)と入力する。

 タヌキはカタカナでいいですか?

 はい。と、いうように入力するので、時間がかかる。

 いくら時間がかかっても、タケシは気にしない。

 自分の可能性を追及するだけだ。

「はて、どういう展開にするかだ」

 タケシは頭をひねった。

 タケシの足元に伏せているローラがピクンと鼻先をあげた。

パソコンは明後日、家にもってくるそうだ。

「ゆっくり考えるか。さて、ローラ帰ろう」

 パソコンのスイッチを切って、タケシは立った。

 システム開発の営業所を出て、歩道を少し行った所で、バックが

ないのに気がついた。

「゛フェッチ゛(とって来い)」

 タケシがローラに命じた。

 ローラは離れて行った。

 タケシは立ったまま、しばらく待った。

 ローラがバックをくわえて戻ってきた。

「゛グッド゛゛グッド゛ローラはぼくの光だ。君といるとさびしく

ないし、ぼくに生きる勇気と希望を与えてくれた。゛グッド゛゛グ

ッド゛」

 タケシはかがみ込むと、ローラの首筋を撫ぜてやりながら、ほほ

を寄せた。

 ローラが湿った鼻を近づけて、タケシのほほをペロリとなめた。





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著者  さこ ゆういち       
ローラは ぼくの光