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一輪の山ユリ    
 昭和三十一年、私は一年遅れの八歳で小学校に入学した。それま

で殆ど歩けなかった事が理由の一つではあったが、戦後十年まだま

だ庶民の暮らしも乏しく、ましてや身障者に対する理解や知識も薄

かった事も影響していたのであろう。

 その頃、父はパチンコ屋から八百屋に転職。自転車でリヤカーを

引いて市場通いをする一方、飴製造の見習いにも行くという生活を

していた。【華北交通】中国の鉄道会社に勤務していた父。そして

終戦。裸同然の引き揚げだったらしい。製材所を手掛けたが失敗。

肌に合わなかったのだろう。目まぐるしく職を替えてきたのも頷け

るというもの。

 パチンコ店は二年ほどやっていたのではないだろうか。開店当初

は大繁盛していたらしい。憶えているのは母屋の方に一台の専用機

が、私のためにあったこと。一発入れては弾く台で、頭と左右に落

とし込みがあり、下段中央にチューリップというやつ。

「おっ、おっ。入った」

 子供の私が玉筋をヨンで弾いていたんです。どのクギを狙って弾

くと、どう流れ、どこに入るかが解っていたんですね。なにしろ無

制限で飽きるまで弾いていたんですから。

 ジャラジャラジャンジャン出てくる。と、いうわけで、もう夢中。

あのまま続いていたらパチプロになっていたかも。幸か不幸か近辺

にパチンコ店が続々開店。客が散ってしまうので廃業に追い込まれ

たらしい。

 私は滅多にパチンコをしない。それでも年一、二回はやるわけで、

まあー子供の時の感が働くのか、やれば勝率八割ほどである。

 歩けるようになってきた私、とはいっても速度が遅いし、すぐに

転んだりしていたから、朝の登校の時だけは父が自転車に乗せて行

った。通っていた飴の製造所が小学校の近くで、そんな事も幸いし

ていたのかもしれない。父がバイクに乗り出したのは、その年の夏

からであった。

「浜んち行っか」

 浜んちとは鹿児島県姶良郡隼人町浜之市のことで、父の生まれ故

郷。四人の伯父【叔父】たちが、ごく近くにそれぞれ住んでいて、

庭続きに漁港がある、といった感じ。すぐそこの沖合に小島が三つ

あり、時に桜島が眺望できる。

 確かあれは125CCのバイクだったと記憶するが、荷台に跨っ

て何回も行ったものだ。まだまだひ弱な私だったとはいえ、握力だ

けは強くなってきていたので、取っ手を掴むことができた。いや、

しがみついて、といった方が適切かもしれない。

 車の方が珍しく、馬車が通っていた頃であり、国道といえども砂

利道であったから砂ぼこりをかぶり、全身真っ白になった。特に鼻

の穴は黒ぐろとした塊となって詰まり、風圧で息苦しくなったりも

した。思い起せば、がたがたと跳ね飛ばされそうになりながらも、

よく行けたものだ、と感心するほどである。

 大隅の峠、山中には国道沿いにしぶきをあげる細い滝があり、冷

たい水が流れ落ちて、めったに人影を見ることのない静かさの中に、

その音だけを響かせていた。だから、ここを休憩所として毎回のご

とくバイクを止めた。降り立った私たち親子は、岩に砕ける水で砂

埃を拭いたり、喉の渇きを癒したものだ。

 あれは五年生の時だったろうか。いつもの如く、父はそこでバイ

クを止めた。何気なくふと滝を見上げた私は、おっと声をあげそう

になった。七、八メートル上の岩の裂目に、なんと一輪の山ユリが

咲いていたのである。緑一色の中の岩肌に咲く可憐な花。清き水。

静寂を打ち破る滝。そして、岩壷に砕け散るしぶき。そんな光景で

あったから鮮明な記憶として残ったのかもしれない。

 父の実家に着くと、目の見えなかった祖父が物音を聞きつけて。

「雄一きたか。どら大きくなっただろう」

 と、両手で私の顔の輪郭をなぞり、次に頭のてっぺんから足の爪

先まで触った。それが行く度ごとにやる行為であった。そうやって

孫たちの成長を楽しみにしていたものと推測される。

 行けば、かならずといっていいほど伯父【叔父】たちの船のどれ

かが港につないであった。暗黙の了解からか、それを無断借用。父

と私は沖に出て魚を釣った。父は漁師顔負けの釣り天狗というより、

漁師そのもの。子供の時から大人たちに交じって漁に出ていたらし

く、働きに相応しい分だけの魚を貰っていたという。だから、いつ

行っても大漁で、旗に見立てた手拭いをなびかせて帰港したものだ。

 山ユリを見た日から二、三年後には車の普及に伴って、国道の舗

装と共に滝の所も旧道と化してしまった。父も車を運転するように

なっていたから、もう二度と立ち寄ることもないまま、時が流れ去

ったのであった。

 祖父母も三十数前、相次いで亡くなったが、父が他界する十四年

ほど前までは、ちょくちょく釣りに通っていたのである。以後、足

が遠退いているが・・・・・・。

 それだけに、あの一輪の花が鮮やかな印象となって、よみがえる

のだろうか。

 しぶき散る 岩に隠れて ユリの花

 まさに仙境であった。



 注釈、この【一輪のヤマユリ】は花のエッセイコンクールに入選

した原稿を加筆訂正したものです。また、文中に出てくる年数はこ

れを書いた1998年当時のままとなっています。

 2002年11月初旬掲載。



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著者  さこ ゆういち