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大正時代の本

 私のHPは「囲碁と文芸の世界へどうぞ」としながらも囲碁に関しては

何も掲載していません。で、お詫びというわけではありませんが、私の

囲碁との出会いを・・・・・。33年前、二十歳の私のうら若き日のこ

と。「笑う」祖母の家にて。

「おやっ、これはまたずいぶん古い本だな。ん、碁の本か。大正時代の

発行じゃないか。囲碁入門 本因坊秀哉名人著 ううん、誰なんだろう。

でも面白そう。読んでみるか。うわーこれはまた難しい漢字で書いてあ

るんだなあ。」
 
 入門書とはいえ、最初から難しい技術的なことが書いてありました。

今の入門書とは桁違いだったのですが、興味をもったのが運の尽き。悪

戦苦闘の末、どうにか打てるようになったのでした。

 さてさて、どうにか打てるようになったと思っていたのは、どうやら

私の一人よがりだった。「笑う」 実際に石を握ることもなく、あの古

本を毎日深夜読んでいるだけでしたから。

 昼間は家業「飴製造」の手伝い、夜は碁の研究という日々がふた月ほ

ど続いたでょうか。公民館で囲碁の会があるということを回覧板で知り、

それに参加。父が碁を打つのは知ってはいましたが、家で碁の話しは聞

いたことがなかったので、もう忘れ去られていたらしい。「これは私の

思い込み」で、父も参加。ところが地域愛好者の中で父が一番上の腕前。

たちまち先生とあいなりました。

 ところで、私はというと「これほど研究したのだから」と、自信満々

の鼻息。だがしかし、実際に打ってみると、初級者といえる人にコテン

パン。微塵もなく負かされてしまったのでありました。

「いやあー強いのなんの」

 当時その初級者の方々がこれほど強いものだとは・・・・。自信消失

とあいなったのはいうまでありません。


総合囲碁講座

 何曜日だったかは失念してしまいましたが、公民館での碁会は週一回。

私が指導してもらったのは、かなりのご年輩の方々が大半で棋力も 九級

から五、六級といったところ。

「あっ、ウッテガエシ。あれっ、今度はシチョウか。ううん」

「わっはっはーはまりよったか」
 
 こんな調子で私の打った石は全滅。本に書いてある通り打っているのに。

「こんなはずはない」

 しかし、それが事実なんです。今思うと年季が入っていたんですね。で

も二回三回と会を重ねるごとに盤石に目が慣れたんでしょうか、時々は勝

てるようになったんです。ちょうどその頃、在庫があるとかで近所の方か

ら総合囲碁講座を定価の半額で父が譲り受けたんです。第十巻まであるや

つに別巻、囲碁百科辞典がセットになっていました。さあー私の魂に火が

ついたのでありました。「笑う」 一冊一冊は分厚いのですが、毎夜夢中

で読みまくりました。しらじらとしだした明け方に寝て、昼過ぎに起きる。

夜行性動物のような日々が始まったのであります。


奇妙な現象

 モグラのような生活が続くある日、父が盤石を買ってくれたんです。折

り畳み式の板碁盤とプラスチックの碁石。第一巻初級編から読んでは碁石

を並べ、崩しては並べの猛修行であったような。「笑う」だけど、これほ

ど修行したにもかかわらず、一週間経って公民館で打つと前回の時より弱

くなっているんです。

「なぜこうなるんだ。理論的にはよく解ってるのに」

 さあーてどうしてこんなことになったんでありましょうか。奇妙な現象

としか言いようがなかったんです。


碁というものの特性

 当初は不思議に思っていたんですが、あの現象の原因は囲碁というゲー

ムの特性にあったのではないか。時の経過と共にそう思うようになったん

です。囲碁は最終的に相手より一目あるいは半目でも多く囲った方が勝ち。

けれどもですね、その最終段階に至る過程では石同士の戦いがあったりす

るんです。おまけに数少ない着手禁止点以外どこに打っても自由なんです。

この自由さがある故に、逆にどこに打っていいか解らないという因果関係

が生まれるんですよね。つまり、初心者には「あまりにも漠然としていて、

掴みどころ」がないということになる。そうなると何を基準に打っていく

か、自分なりに作り出す必要があるんです。

 ある程度打てるようになったということは無意識的に「自分なりの基準」

「碁はこんな考えの基に打つ」が出来たといえるんです。まあー初心者に

は初心者なりの碁を打つための「基盤」が出来る。ところが本を読んで研

究すると、新しい知識「基盤」が頭の中に入ってくるわけです。これを頭

「脳」がすんなりと受け入れてくれないんですよね。「笑う」


スランプ

 前の「基盤」と新しい「基盤」が喧嘩するもんですから、頭の中が混乱

状態になるんですね。一時的にスランプに陥る。そして、その時は碁なん

か打ちたくもないということになるんです。「笑う」

 だけれども、さらに一週間が過ぎて打ってみると、なんとなんと向かう

ところ敵なし。一段階どころではなく二段階も三段階も飛び越えて強くな

っているんです。これは頭の中の「基盤」が一本化し、まとまったからで

はないかと思えるんです。で、ここから私の碁の快進撃が始まったんであ

ります。次の一週間目はスランプ。ある時は三段階どころか四段階上に昇

進したこともあったんです。




 初心者の時や初級者の時ほど昇級も速かったんです。ですから五級ぐら

いまではトントン拍子にいったんですよ。

「この全巻を読破して、修行を積めば、初段は簡単に」

 まあーなんという生意気な若造だったんでしょうね。我のことながら昔

はそうだったんです。「笑う」で、天罰が下ったんでありましょうか。快

進撃も五級でストップ。ひとつの壁にぶち当たったんでありました。


読んで読んで読みまくる

 公民館での碁の集まりは夕方からだったこともあり、盤石はもちろんの

こと、焼酎やつまみを持ち込んでとなったのは自然の成り行きか。ちびち

びやりながらの対局は楽しみの一つであったのでしょうね。私ももちろん

頂きました。若かったからでしょうか、いくら飲んでも全然酔わなかった

ですよ。今はもう駄目ですけれども・・・。「笑う」

 五級で大きく立ちはだかった壁。これはスランプとは違うんですよね。

将棋でもいえることだと思うんですが、ある程度上達すると行き詰まるん

です。将棋は駒の動き方を知れば、後は相手の王将を先に取れば勝ちとい

うわけで、目的がはっきりしている。だから碁より憶えやすいですよね。

 で、私は中学生の時にやっていたんです。でも、ある日気づいたんです。

先手の方が指し手が無くなるという現象です。ここで駒を動かすと不利に

なるから動かすに動かせない。そんな状況が生じるようになったんです。

「ヘボだったからか」だから将棋はその時のままなんです。

 まあーそんなわけで碁の方も壁にぶち当たった。当然面白くも可笑しく

もなかったんですが、あの本だけは読みまくったんです。

 私にとって五級が一つの壁だったんです。これを乗り越えるのに、ひと

月ほどかかった。で、その頃には総合囲碁講座も第二巻を読破。不思議な

もので一つの壁を突破すると、その後はトントン拍子に二段まで快進撃が

続いたんです。祖母の家であの古本を見つけてから約七ヶ月後のことだっ

たと記憶しております。まあーこの辺りはちょっと曖昧かも「笑う」


プロのまねごと

 アマ二段格「まあーその位の実力といった程度」になったんですが、父

の知り合いに碁の好きなおじいさんがいましてね。ご隠居さんなわけでし

て、昼間ひまだから遊びにきてくれというんです。棋力は3,4級だった

でしょうか。指導に通うようになったんです。これがなんと有料なのでし

た。出前の昼食をごちそうになったあげく、帰りに必ず包んでくれるんで

す。けして少ない額じゃなかったですよ。「笑う」


碁会所

 ご隠居さんの所でプロのまねごとが始まった、ちょう度その頃に碁会所

があるという事を知ったんです。

「たのもう」

「うむ、さては道場破りか」

「一手お相手お願い申す」
 
 てなことにはならなかったんでありますが、若き日のことゆえ怖いもの

知らず、ということで門を潜ったんでありました。高い敷居をすんなり跨

いで、他流試合を開始か。「笑う」


武者修行

 碁会所に顔を出すようになって、ヨミの力がついてきたんです。あの全

巻は相変わらず、読んで読んで読みまくってはいたけど、やっぱり実戦が

伴わないとダメなんですね。

「やあーやあーわれこそは全巻皆伝。いざ勝負」

「なぬっ、小癪なこの若造、討ちとってくれようぞ」

「ややっ、この構え秀策流、その技われ会得したなり」

 と、まあー声は出さぬものの、気迫はそんな感じであったような。実戦

から学ぶもの大でありました。


優勝

 その頃の碁会所では土、日、祭日に囲碁大会をやっていたんです。当初

はなかなか優勝できなかったんですが、まあー三位以内に入れば賞品が貰

えるというわけでしてね。時機に上位入賞の回数が増えていったんです。

こういった事もまたまた不思議なもので一回優勝すると何回もできるよう

になるんですよね。自信がつくというか、勝負度胸がつくんです。という

わけで毎回賞品を勝ち取ってとなってきたんでありました。まるで賞金稼

ぎならぬ賞品稼ぎだったような。「笑う」


ふたたび

 囲碁大会で上位入賞が続いたので、優勝カップや盾、トロフィーなどが

ところ狭しと並ぶようになったんです。それを眺めてはニタニタしておっ

たような。「笑う」やがて三段格に。

 有頂天になっていたのは確かでありました。歳も九月生まれの二十一に

なったばかり。いやはや若かったですな。若さゆえの心の傲りが出てきた

のでありましょうか。快進撃もここにてストップ。ふたたび厚い厚い壁が

立ち塞がったのでありました。


親子

公民館で先生にまつり上げられた父ではありましたが、あの総合囲碁講座

と盤石を与えただけで、私とは指導は疎か打ったことさえ一回もなかったん

です。どうやら親子というのはそういうものらしい。ところがですね、私が

碁会所に通い出したのに刺激されたのか、父も通い始めたんですよ。たちま

ち三段免状皆伝と。

親子で碁を打つというのは、なかなかやりづらいものなんですね。親は自分

のレベルでものを言うし、子の方が強くなれば「意地でも打たぬ」と、なっ

ちゃうんですよね。子は甘えが入るし、頭ごなしにどなられっ放しで「ちー

っとも面白くない」てなことになるんです。

だが、しかしですぞ。これが祖父と孫の関係になると意外に馬が合うものな

んですよね。


定石

 三段格で壁にぶち当たった頃は総合囲碁講座も十巻全部「といっても一巻は

入門から初級編だったから実際は九巻」を紐といていたんですよ。定石を憶え

ては。

「よし、これで強くなったぞ」てなことを思っていたような。「笑う」

 現実は逆で定石を憶えると弱くなっちゃうんですよね。あの定石はこうだ。

あれはこうだ。これはこうだ。憶えれば憶えるほど弱くなるんです。

「あれっ、なんで、どうしてなんだ」

 と、嘆いていたような。「笑う」


定石おぼえて弱くなる

 この格言は当たっていたんです。

「でも、どうして」

 そんな疑問を秘めたまま、いやな気分ではありましたが、しかし定石の研究

は続けたんです。で、また弱くなった。「笑う」

「もう碁を止めようか」

 てなことを考えたのも一度や二度ではなかったような。もうそれはヤケのヤ

ンパチになって・

「これでもか、これでもか」

 と、読みまくりましたんです、はい。


ひとつの形

「なぬっ、定石を憶えて弱くなったって」

「そうなんです。いっぱい憶えたんです。ところが実戦になると」

「ううむ、そんなバカな」

ふた月ほど苦しんだでしょうか。で、この謎が解けたんですよ。我のことなが

ら、まったく間抜けだったですな、これが。「笑う」

「ひとつの形から始まる定石というものには必ず枝葉があるんだぜ」

「ふんふん、そうか」

「それを知らずに、最初の形「定石」をなんぼ憶えてもダメに決まってるじゃ

ないか。この世間知らずめ」

「すいません、枝葉も徹底的に憶えます」

「まだ解っちゃいないらしいな。この大バカ者め。いいか、よく聞けよ。定石

というものはだな、憶えようとするものじゃないんだぜ。その形に至る互いの

手筋を修得するものなんだ」

 と、碁の神様がおっしゃられたような。「笑う」ここにおいて眼が醒めたんで

ありました。


解釈

 定石を憶えることから、手順「何故そこに打つのか」に切り替えて枝葉も含め

て徹底的に研究し出したんです。つまり、解釈の仕方を改めてやったんです。憶

える気がないので返って手順の意味がよく解る。と、同時に頭の中にすんなりと

記憶されたんですよ。

「結果的には憶えてしまったか」

 これもまた不思議な現象だったんですよね。で、ここ辺りで碁の神様のお告げ

を聴いたような。「笑う」

「定石とは手筋の連続なのじゃ。心して励め」

 なんと優しい神様だったのでしょう。たちまち厚い厚い壁を突破。四段格に昇

格とあいなったんでありました。


布石の中の定石

掲示板の方で、カメの甲さんとイタチさんから定石の活用法を教えて欲しいとい

うご要望がありました。で、少しだけ触れますね。

 ひと口に定石といっても千変万化。数え上げたらきりがありませんよね。その

中からどれを選んで打つかとなると、それはもう碁の神様に聴かなくっちゃなら

なくなるんです。「笑う」

ただ、いえることは布石の中の定石だということ。もうひとつは定石といえども、

その布石「局面」によって変化するということ。さらにいうと、碁というものの

本質にかえってきちゃうんですよね。つまり碁は常に大きい所を目指すゲームだ

ということです。それは単なる大場という意味ではないんです。石同士の戦いで

すから急場とか色々でてきて難しいんですが、要するに最善の手を尽くすという

意味なんです。
 
 定石を知らなくっても最善手「手筋」を打っていくと定石になるんですよね。


定石

 1,3,5の小目の布石。これに対しての小ゲイマガカリ。これにコスミで

応じるのが秀策流。幕末の頃に本因坊秀策先生が多用された定石の一つです。

コミがなかった時代の先番必勝法。むろん秀策先生だからできた芸当だといえ

なくはないですけれども。

 コミのある現代碁ではあまり見かけなくなってきてはいます。これとて確定

的なことではないんですが、現代碁では足が遅く感じられるのかも知れません

ね。でもしかし、だがしかしですぞ。

「ううん、次の一手。この局面にピッタリな手・・・・・」

「20秒・・・・25秒・6・7・8」

「うむ、これだ、コスミ」

「9」バシッ。てなことがあるかも知れないんですよ。

「時間に追われて打ったあの手が勝因じゃよ」

 インタビューに応じて、碁の神様がおっしゃられたような。「笑う」


囲碁の歴史

 総合囲碁講座別巻の囲碁百科辞典の中に日本最古の棋譜というのが載ってい

ます。その解説によると、囲碁は奈良時代に中国から入ってきたと推定される

とあり、平安時代に大盛況をみた、と書いてあるんですよ。これは各種文献か

ら推定したもので、ほぼ間違いないらしい。

 ところで、この最古の棋譜というのは本当にそうなのかどうか怪しいのだそ

うです。まあーそういったことは「碁の神様」に任せるとしてもですね。「笑」

相当な古い時代から囲碁は打たれていたらしいことだけは分かるんですよね。

「おいおい、今日の日記はなんか可笑しいぜ」

「まあーいいじゃないか。たまにはこういうのも」


手筋

 碁の神様のお告げを聞いて四段格になった頃から、この神様は度々、私の前

に出没しだしたんです。「笑う」

「これこれ、定石の研究法は解ったようじゃな」

「お陰様でなんとか。しかしヨミの力がないんです。どうすれば」

「詰碁じゃよ。詰碁」

「でも詰碁は苦手なんです。他の方法はないのですか」

「困ったやつじゃ。ほれほれ、あれじゃよ、あれ」

 総合囲碁講座の中の「攻防の手筋」をお顎でおしゃくりになられたんであり

ました。「笑う」


手筋2

 碁の神様のご指示通り「攻防の手筋」を徹底的に研究しだしたんです。これ

は広い意味で詰碁と似たようなものなんですが、隅の問題に限っているのじゃ

ないんです。辺や中央の問題が多く、実戦的ですぐ使えるような手筋の問題の

本だったんです。

「ふむふむ、こりゃあ面白い」

 面白いというのは一つの力なんですよね。そりゃあもうポンポコ、ポンポコ

頭の中に入ってくるんです。だけどですね、この本を紐とく前に神様から厳重

な注意があったんです。

「いいかよく聞けよ。問題を解くにあたって、必ず自分なりの答えを出すのじ

ゃぞ。それをせずして解答を見るべからず。たとえ答えが間違っていようとも

それはいいのじゃ。答えを出す苦労をしてこそ上達するのじゃからのう」

「ははっ、ありがたきお言葉。身に染みましてござりまする」

 てなことをいったかどうかは不明。しかしされどヨミの力がついたのは偽り

のない話しでありました。


五段格

「うむ、よくぞここまで修行を積んだ。一応だが五段格に昇格じゃ」

「わあーい、やったやった」

「これこれ、そう無邪気に喜ぶものではない。一応というておろうが一応とな。

これからが本当の意味での試練、カアーッ」

 あんなにお優しかった碁の神様が眼光するどく、口から沫をお飛ばしになら

れたのでありました。


五段格2

 碁の神様のお墨付きを頂いて五段格になったのは、祖母の家であの古本を手

にした時からほぼ一年目の頃だったような。「笑う」

 されど、一番弱い方の五段格。当時アマでは五段が最高段位だったんですよ。

もちろん一部の全国アマタイトル獲得経験者を除いての話し。「私の記憶違い

のときは許してたもれ」「ん、よかよかっ」

 で、ですね、この五段というのがピンからキリまであったんですよね。それ

ほど五段というのは幅が広かったんです。その中の一番弱い五段格になったわ

けなんです。

「おぬしは最初から本に学んで碁そのものは本格派じゃ。後ちとヨミの力さえ

つけばのう。ただし、いくら強くなっても邪心は禁物じゃぞ」

 忽然と碁の神様がお姿を現されたような。「笑う」

 でもです、これは本当のことだったんですよ。


 私は三人兄弟の一番末っ子。ふたりの姉がいます。で、どうしたことか私だ

けは脳性小児マヒ。小学校に上がる頃までは歩けなかったんです。幸い好奇心

が強かったので、隣の畑をゴソゴソと這い回っては。

「冒険だ。探検だ」と、遊んでいたんです。

 当時エスという大型の日本犬雑種を飼っていたんですが、これが私の家来と

いうか、子分だったわけでしてね。「笑う」

 小屋から犬を追い出してそこを占領したりと乱暴狼藉の限りをつくしていた

ような。お陰で少しは歩けるようになったし、身体の不自由さを徐々に克服し

ていったんです。

「おいおい、今日は碁の話しと違うじゃないか」

「まーあいいじゃないか。明後日ごろになれば、分かりますよーだ」


エス

 囲碁の話しに戻る、その前に犬のことを。エスという名前だったんです。私

は昭和23年生まれ。エスも同年ではなかったかと思われるんです。で、私が

ゴソゴソし出した頃にはもうかなり大きくなっておりまして、もの凄く力が強

かったんですよ。日本犬雑種のくせにシェパードによく似ていたような。大き

さもそうなんですが、そりゃもう頭も良かったんです。これが、なんと私の家

来だったわけで、小さな私のいうことを忠実に聞き分けたんです。当時、父が

薩摩いも「からいも」から水飴を作っていたんです。山のように積まれた「か

らいも」からできる水飴はほんの僅かなものなんですが、これを一年分作るん

です。で、ですね「からいも」の搾り粕が沢山でる。こればかりじゃなかった

んですけど、これを大食らいなエスに。「すわれ」エスがすわる。粕を団子に

して「ほい」空中に投げてやるんです。どんなに無理な所に放っても地面に落

ちる前にこのエスはキャッチするんです。それがたとえ地面すれすれであって

もなんです。


わんぱく小僧

 不自由な手足をしていたくせに、外ではエスを従えてゴソゴソ這って動くも

んですから「どろんこ」になるんです。ですから夕方になると父に捕まえられ

て「五右衛門風呂」にという毎日だったような。「笑う」

 戦後間もなく建てた家なもんですから「天井板」がないんです。梁「梁柱」

が露出したままになっていてですね、そこにロープを掛けてブランコにしてい

たんです。本人は遊んでいるつもりだったのでしょうが、本当はロープにぶら

さがって立つ訓練をしていたんですよね。

 さてさて、なにを長々と書いてきたかというとですね、そこに五寸ほどの桂

の碁盤と碁石などが存在していたという事実なんです。

「ふんふん、やっと碁の話しになってきたか」


盤石

 普通なら遅くとも、もうよちよち歩きしてもよかそうな頃から三、四歳ごろ

の時ではなかったかと思うんですが、そんな幼児に碁盤や碁石の価値が分かろ

うはずがなく、当然のごとく私のオモチャになっていたんです。当時の家は一

部屋ずつ仕切ってありましてですね、部屋と部屋の間は土間になっていたんで

す。で、六畳間の部屋で碁石をぶちまけて、ひっかき回すもんですからコロコ

ロころがって畳の隙間にはまり込んだり、土間に落ちて軒下に転がり込んだり

するんですよね。碁盤の方も踏んだり蹴ったり、はたまた引っ掻いたりとさん

ざんな目に遭わせていたような。

「あっ、ぐわあっ」

 碁石を追っかけていて土間におっこちる。さすがに碁の神様も見るに見かね

て「お仕置きじゃ」てなところだったんでありましょうか。まあー落ちた所が

土の上なんで痛いことは痛いんですけれども、けがはなし。ということで、も

うその頃から碁の神様と私は大の仲良しだったような。「大爆笑」


ひとり旅

 私が五段格になった当時ふたりの姉は上が佐賀に、下が福岡にそれぞれ嫁いで

おりましてね、そんなわけで福岡に遊びに行ったんです。大野城市なんですけれ

ども、すぐ近くに大川が流れていたんです。たしか筑後川だったと思うんですけ

ど、はっきりしませんが。で、借家の周辺は田園地帯に。6,700メートルの

所を川と平行して国道があり、その向こう側が南福岡。当時の国鉄駅は国道から

さらに同じ距離ぐらいの所にあるんですが、そこのちょうど中間あたりを西鉄が

走っていたんです。

 その西鉄駅の周辺は繁華街になっていたんです。で、退屈なもんですから碁会

所を探しに行ったんです。ところが行き着いたのはまったく別の町、白木原とい

う所で個人の家だったんです。そこはご近所の人たちが2、3人集まっているだ

けの「ごく普通の素人」の人の家なんです。碁会所じゃないことはいくなんでも

一目で分かりましたよ。でもですね「こんちは碁打ちに来もした」と、ずうずう

しくも玄関をガラリとやったんです。出てきたそこのご主人は呆気にとられて一

瞬ポカン。「あがってんよかな」と間をおかずに声をかけたもんだから「どうぞ」

てなことにあいなったんでありました。

 案内されて行った所は二階の六畳間で碁盤が三目面置いてあったんです。そこ

のご主人らしき人を含めて三人のご年輩の方がいて、一局だけ打ちかけになって

いるんです。「この人さっき上がってんよかな、と言いなさったけんど、九州の

どっからきんしゃったと」「みやこんじょから」とご主人の質問に答えたんです。

 すると、別の方が。

「みやこんじょとは聞いたこっばあなかけんど」

「宮崎県の都城市です」

「ああーそぎゃん遠か所から」

「まあーひとりあまっしゃるところじゃけん、ちょうどよかったばい。なんとかし

ゃん、こん人と打ちんしゃい」

 初めて訪ねていった他人の家に上がり込んで、これまた初対面の人なのに碁を打

つんですから、我のことながら「くそ度胸 」があったんですな、これが。



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著者  さこ ゆういち