「あらあら、仲がいいこと。なんだか楽しそうね」 

 不意に入口から声がかかった。見ると、寮母の西岡さんがほほ笑んで立っていた。和子

が頼んでおいたのだろう。ふたり分の昼食を部屋に持ってきてくれたのだ。

「ありがとうございます。いって下されば、取りにいきましたのに」

 和子はあわてて握っていた手を離すと、はじらうように振り向いて頭をさげた。

「風間さん、お誕生日おめでとう。今日から大人の仲間入りね」

 テーブルに膳を置くと、すぐに西岡さんは部屋から去っていく。駆けていくのを見ると、

忙しそうだ。風間はワインの瓶を取って、栓を抜いた。

「さあーどうぞ」

「あっ、わたし車だから」

「御和坊、まあいいじゃないか。今日は特別なんだからゆっくりしていけよ」

「じゃ一杯だけね」

 和子は率直にグラスを差し出して、にこやかにうなずいて見せた。和子の担当している

家事や事務はよほどの事がないかぎり朝と夕方に集中しているので、五時ごろまでに帰れ

ばいいのだろう。

 【南光苑】は高台にあるためか、庭園からの眺めは風光明媚だといっていい。田畑あり

川あり、そして山々が望める。こうした風景を眺めていると、ふと心のふるさとに帰った

ような、ホッとさせる何かがあるようだ。風間がそう感じるのは、いつもパソコンにかじ

り付いているせいかもしれない。

「風間さん、外はいい天気ですよ」

 職員から声をかけられて、ハッと我に返る。五、六時間も画面とにらめっこしていたら

しい。声をかけてくれなければ、この後もずうーっとそうしていたことだろう。

 このところ、パソコンの二千年問題がテレビなどで報道されているが、風間の使ってい

るパソコンに関しては別に差し障りがあるとも思えなかった。それでも万が一の場合を想

定して、風間はフロッピーにデータをコピーする作業を行なっていたのだ。

「これでデータのバックアップもOKだ」

 風間はコリをほぐすかのように肩をゆさぶって、首をまわした。以前、何かの手拍子で

四百字詰め原稿用紙に換算して二百数枚分の文章を消してしまうという、苦い経験があっ

た。自分で考え出した文章だったから、なんとか復元できたものの、再度キーボードから

の打ち込みに情けない程うんざりさせられたものだ。

 頼んでおいた背広が仕立て上がってきた。成人式の日に伸介が着ていくのだからと、文

子が奮発して新調してくれたのである。正月もあと二日を残すのみ。和夫に送ってもらっ

て、風間は家に帰ってきた。

「これこれ若君様、大晦日の夜はここで温和しく除夜の鐘でも聞いててたもれ。お母様に

帯を絞めて頂いて、和ちゃんと奇麗どころになるのだから」

 顔を会わせるなり、美智代が牽制球を投げてよこした。どうやら、姉御と御和坊は振り

袖姿になるらしい。

「ふん、なにが若君様だ。お母様だとは何のこっだ。まったく気が知れねえ」

 風間は鼻に皺をよせて、ペロッと舌を出した。どうせ馬子にも衣装の類なんだろう。と、

思った瞬間、風間の脳裏に和子の振り袖姿がチラッと浮かび上がった。

 翌三十一日の昼ごろ、藤田がやってきた。いそいそと出迎えた美智代は酒などを出して、

しばらく付合っていたが、やがて台所の方に行ってしまった。女たちの、てんやわんやの

忙しさに比較すれば、風間や藤田は旗本退屈男そのものである。

「伸介君、さあー飲んだ飲んだ」

 さかんに藤田がさかずきを突き出した。風間はその都度それを受けて飲んだ。自分でも

意外なほど酒に強いらしい。日頃、口やかましい文子お母様も二十歳になったのだからと、

まあまあ寛大な素振りを見せた。直に、ちょびちょびやっていた藤田の顔が真っ赤になっ

た。明日は美智代と共に藤田の方の親戚まわりをするらしい。藤田はコタツに足だけ突っ

込んだ格好でごろりと横になり、すぐにいびきをかいて寝入ってしまった。

 二千年問題による支障もなく、年が明けた。鳴り響く花火の音が賑やかだ。風間が藤田

を含む家族と共にテレビを見ていると、和子と和夫がやってきた。これから別室で美智代

と和子は帯締めをはじめるらしい。

「伸介、トランプでもするか。藤田さんもどうです」

 和夫がいかつい顔をほころばせて、コタツの上にカードを置いた。和広は和子が用意し

てやった料理と酒で寝正月と決め込んだらしく、もう今時分は夢うつつのことだろう。

 ババ抜きから始めて七並べに移行し、結局はポーカーに落ち着いた。むろん賭けている

わけではないが、他のゲームは二、三回やると飽きてしまうからだ。

「それにしても和子のやつ、遅いなあ。ええーい、もうやめたーっと」

 何回もやったのでポーカーにも飽きたのか、和夫がカードを放り出して、声を荒げた。

「まあまあまあー外は寒かろうし、時間的にもそんなに急ぐことはないだろう」

 藤田は腕時計にチラッと目をやって、ふっふっふっと含み笑いをした。点けっ放しのテ

レビでは、どっとくり出した初詣の人々の様子を放映している。字幕によると、各地とも

天気良好のようだ。

「ながらくお待たせしました。兄さん、声、高いわよ」

 ふすまを開いて、和子が部屋に入ってきた。振り袖姿の和子を見た瞬間、風間の胸がド

キンと鳴った。片膝をついて入ってきた仕草といい、立ってからの、くるりと袖を腕に掛

け、横向きかげんに身体を反らせた姿といい、まばゆいばかりに美しく輝いて見えたから

だ。風間はどぎまぎして、目のやり場に困ってしまうほどだった。

「信雄さん、見てやって下さい」

 文子が声をかけて、美智代を伴いつつ入ってきた。美智代は結った髪にかんざしを挿し

ている。打ち合せでもしておいたのか、和子とほぼ同じ仕草をして見せた。

「いやあーこれはこれは、何と美しい。伸介君、和夫君、そう思うだろう。うんうん、ま

るでどっかのお姫様のようだ」

「うっ、うふっ、いや、これは失礼。ささっ姉君、殿のお側え」

 あまりにも藤田が褒めるので、風間は思わず、ふき出してしまった。実際、藤田のいう

とおりなのだ。風間はふざけて誤魔化そうとしたが、美智代がすぐに切り返してきた。

「伸介、なによ笑ったわね」 

「美智代さん、はしたない。信雄さんが笑ってるじゃないの」

「はい、お母様。ごめんなさい」

 美智代は率直にあやまりながらも、ななめに顔をかしげて舌をチョロッと出した。

「伸介、そろそろ三時半だぞ。和子も用意はいいな。よし行くぞ」

 ぶっきらぼうに和夫が立ち上がった。三人で初日の出を拝みに行こうというのだ。

 目的の岬までは約一時間半、ワゴン車で向かった。いかつい顔に似合わず、和夫の運転

ぶりは慎重である。山道を越えると、まだ暗いうちに太平洋を望む岬に着いた。

「伸介さん、聞いてる。さざ波の音が軽やかね」

 電動車椅子に腰掛けた風間の肩に手を添えて、和子がそっとつぶやいた。このごろはど

こに行っても整備が進んでいるが、ここも例外ではなかった。しかも先端まで舗装が施さ

れ、ちょっとした広場になっている。

「日の出まで一時間ちかく間があるな。釣具でも持ってくるんだった。ちえっ」

 先端に立って沖を眺めていた和夫は振り返ると、手で竿を振るまねをして、しきりに悔

やんだ。微かな波の音を聞くと、いてもたってもいられないらしい。

「ねえロボコンだけど、どうなってるの」

 不意に思い出したように和子が話題を変えた。そして身体を少しよじったようだ。風間 

の顔を袖がサラッと撫でた。

「いちおう組み立てたそうだ。三が日が過ぎてから試験的に乗ってみてくれということだ

った。乗ってみて問題があれば、その都度、改良するらしい」

「そう、で、宇宙服の方はどうなの」

 背後の方が開く特許的着衣だから、和子がいったように今では【宇宙服】という呼び名

はすっかり定着したようだ。少なくともこれに関わった人たちの間では、そうだった。

「御和坊の考えたマジックファスナーの両側に紐を付けて、台座が上と後に移動するとき

にそれを引っ張る仕組みにしたとか、いっていたな」
 
「なるほど、それで開くというわけね。じゃ閉じる時は逆に作用するのかしら」

「どうやらそうらしい。ちょっとした工夫が。・・・・でもまだ試行錯誤の段階だという

ことだった」

 風間と和子が話し込んでいるうちに、辺りがだんだんにぎやかになってきた。いつの間

に買ってきたのか、和夫が熱い缶コーヒーを差し出して、声をかけてきた。

「伸介、和子、もうすぐ陽が昇るぞ」

 風間はコーヒーを受け取って、沖に視線を向けた。水平線の辺りがしらじらとしている。

うっすらとした雲が浮いているが、微動だにしない。やがて、水平線も雲もオレンジ色に

輝きはじめた。

「なんて奇麗なんでしょう。・・・・・・・・・今年もいい年でありますように」

 感動したように和子は歓声をあげたが、その後つぶやきながら手を合わせた。

 風間は九時前に帰宅した。雑煮を食べると、コタツに潜り込んで眠りについた。

 元旦だけは目をつぶったのか、文子は何も言わなかった。が、二日、三日とコタツに入

り浸って、ごろごろしている息子を見ると、ついつい小言が出るものらしい。まあーお母

様の小うるさいのは我慢できるとしても、なんといっても退屈である。四日の朝、和夫に

送ってもらい風間は【南光苑】に戻ってきた。

 部屋に入ろうとしたところで、野村福祉士とバッタリ出くわした。隣の部屋に用があっ

たらしく、『やあ』と声をかけ、にこりと笑顔を見せた。

「岡田博士から電話があって、風間君が戻ったらメールを読んでみてくれと。ええっと

何だったかな。・・・・そうそうロボコンのことかもしれないな」

「じゃ、早速パソコンを立ち上げてみようかな」

「風間君、ちょっと見せてもらってもいいかい」

 風間がうなずくと、野村福祉士はいかにも興味津々といった顔をして、ついてきた。風

間は机の前に行って、パソコンのスイッチを押した。プログラムが起動するまでちょっと

間があり、やがて初期メニュー画面になった。風間はマウスを動かして、メールソフトを 

クリックした。

「ほーこれがメールか」

「そう。・・おやっ、明日もってくると書いてありますよ。ん、添い付け。・・・野村さ

ん、この写真がロボコンなんです」

「なーんだ、少し変わってはいるが、いま乗っている電動車椅子と似たようなもんじゃな

いか。・・・・・・・ふむ、それとも何か特別な仕掛けでもしてあるのかな?」

「それが大ありなりです。だいたいロボコンのコンはコンピュータの略称なんだから」

「なるほど、それじゃコンピュータで動く車椅子ロボットと解釈してもいいわけだね」

「さすが、野村さんは分かりがはやい。まあトイレ専用というわけじゃないけれど、自分

にとって一番困難で大事な部分なんです。なんだかクサイ話で恥ずかしいのですが」

 風間は右手で頭を掻きながら、誘導システムのロボットであることを説明した。

「いや、風間君そんなことはない。人も動物なんだから出るものは出ると決まってる。む

しろ、自分でやろうとする心というか、そこから生まれた考え方というのは素晴らしいと

思う。よく知らなかったけれど、ロボコンが完成するとどれだけ多くの人の役に立つこと

だろう。まあ、測りきれない可能性を秘めているのは確かなようだね」

「・・・・・・あん、いや、そうかもしれません」

 右手でメガネをずり上げながらの野村福祉士の熱弁に、風間は一瞬言葉を見失った。

 夕食前に、風間は介護を受けて入浴した。おかげで身体がくつろいだせいか、夜はぐっ

すり熟眠できた。ロボコンのことは入浴する前に電話で知らせておいたから、美智代や和

子、和夫も昼頃にはくるだろう。

 風間は朝目覚めると、いつものようにカーテンを引いて、ガラスごしに外を眺めた。ま

だ雨は降っていないが、どんよりとした雲がたれこめている。いかにも寒そうな空模様で

ある。けれども時間の経過と共に陽が射してきて、徐々に春を思わせるような陽気になっ

てきた。

 風間は昼食を終えると、庭園に出た。ぽかぽかと暖かい陽射を受けて、三人を待った。

やがて、見覚えのある白い軽車両が門から入ってきた。駐車場に置いてきたのだろう。遠

くで和子が手を振った。今日の和子はジーパン姿だ。小走りに駆け寄ってきた。

「チャオ、御和坊。・・・・・ん、姉御や和夫はどうしたんだい」

 にこにこになりそうな気分を抑えて、風間は一応いぶかしそうに顔をしかめて見せた。

「ふたりとも急用ができたらしいの。伸介さん、ごめんね」

 笑みを消して、和子が手を合わせた。ジーパン姿のせいか、いくぶん活発そうに見える

が、それを押し隠すようないじらしい仕草だ。

「御和坊が謝ることなんか何もないよ。来られなくってよかった。・・・あん、いや、で

も仕方がないか」

 本心から出かかった言葉を呑み込んで、あわてて風間は言い換えた。

 午後一時過ぎ、岡田博士は青山とふたりで【南光苑】にやってきた。風間たちの方に近
 
づいてきた岡田博士は『ハーイ』といって、右手をあげた。

「風間君、これがロボコンだ。操作は電動車椅子とほぼ同じだから、まあ乗ってみてくれ

たまえ。青山君、手伝ってあげなさい」

 岡田博士はロボコンを押してきた青山の方に振り向いて、声をかけた。早速、風間は和

子や青山の手助けを受けて、電動車椅子からロボコンに乗り移った。操作はいたって簡単

だ。風間は広ろびろとした庭園をぐるりと回って、戻ってきた。

「いやーすばらしい乗り心地です」

「伸介さん、よかったわね」

「うんうん、そうだろう。風間君は両手とも自由だから手動の方がいいと思って作ったん

だ。でだ、台座が上や後ろに移動したりするのも、手動と自動の切り替えスイッチがあっ

た方がいいだろうと想ってね。ここにあるだろう。そう、それだ」

 岡田博士は風間の手を取って、操作ピンの裏側にあるスイッチの所に導いた。

「いやあ、さすがですね。そこまでは気付きませんでした。トイレでの使用を優先的に考

えていたもんですから。で、手動のときはどうなるんです」

「どのように作動させても臀部の底がぬけるような事はない。ぬけるのは自動の時だけだ。

これが上下移動ボタン、後方移動はこのボタンを押す。一回押すごとに切り替わるからね。

ただし安全のため、この台座移動ボタンを使っている時は、電動車椅子としては機能しな

い。つまり、他のスイッチが入っても動かないわけだ」

「ははん、本体の方はブレーキがかかるわけですね」

「と、いうことはどこでも使えるってことね。伸介さん、やってみて」

 岡田博士の顔から風間の顔に視線を移して、和子が目を輝かせた。風間はボタンを押し

分けて、試してみた。すると、腰掛けた風間は台座と共に上や後に移動した。

「ううん、これは便利だ。今まで手の届かなかった所もこれで何とかなるぞ。・・わーお

ぎゃおぎゃお、やったやった」




ツールバーの戻るボタンをクリックしてね。
トップページ
著者  さこ ゆういち       
小説 介護ロボコン
第三章 喜び