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 風間が大げさにはしゃぎ声をあげた。わっはっはーと岡田博士が笑った。

「風間君、今度はトイレで試してみようじゃないか」

 岡田博士が建物の方を指さした。風間はロボコンに夢中だったので気づかなかったが、

青山の姿が見当らない。風間はロボコンを操作した。歩きながら和子が話しかけてきた。

「さっき青山さんに見せてもらったけれど、赤外線装置って三センチ角の大きさでしかな

かったわ。ずいぶん小さなものなのね」

「そうか、そんなに小さいのか。岡田博士、電源は何なのですか」

「風間君、それはだね腕時計に使う電池だよ。もう青山君が取り付けたことだろう」

 岡田博士は風間の方に顔を振り向けているが、歩調は変えない。軽快な歩きぷりだ。ト

イレの入口が見えてきた。笑顔で青山が待っていた。

「さてと風間君、自動にしてみてくれたまえ」

 岡田博士の指示どおり、風間はスイッチを入れた。《ピッピキピッピッピーコレカラ、

ユウドウヲカイシシマス》と音声を発して、風間を乗せたロボコンはバックを開始した。

すべてプログラムどおりに作動しているのだろう。風間は前向きに進んできたから向きが

逆だったが、ロボコンはクルリと回り込んで便器の所に到達すると、停止した。と、台座

が十センチほど上がっただろうか、すぐに後方へ移動した。台座はピッタリ便座の上に乗

っかり、臀部の底もぬけていた。

「いやあ、これはこれは、なんとなんと。これで便座に移る苦痛から解放されるぞ」

 思わず、風間はバンザイをしそうになったが、それだけはやめて歓声をあげた。和子が

近寄ってきて、風間のすぐ脇に立った。

「なんて素晴らしいロボットなんでしょう。伸介さん、本当によかったわね」

 和子は身をかがめるようにしてロボコンを撫ぜると、風間の目の前に右手を差し伸べて

きた。風間はその手を両手で掴んだ。白く細い指がヒンヤリとしている。

「風間君、今度はこの位置から試してみてくれんかね」

 さすってやりながら、少しボーッとなった風間の耳に岡田博士の声が飛び込んできた。

 トイレの入り口は二メートルほどの広さであるが、どこから試してもロボコンの誘導は

正確だった。

 トイレでの試し乗りが終わった後、みんなで庭園に出た。風がなく本当に春日和だ。

「とこで風間君、君の伯父さんから言付けを頼まれたのだが、例の物は一週間ほど待つよ

うにと。石井教授は文科系だから同じ大学にいてもなかなか会う機会はないのだが、君が

知らせたとかでロボコンを拝見したいと私の研究室にこられたわけだ」

「あ、はい、わかりました。どうもありがとうございました」

 風間は頭をペコンとさげた。石井は母文子の一番上の兄だ。風間は調べたい事があった

ので資料を送ってくれるよう頼んでおいたのだった。今でこそインターネットを通して仕

事をしているが、最初は伯父との関係でパソコン通信を利用して大学のコンピュータを使

わせてもらっていたのだ。その伯父は何かのことで美智代と喧嘩したらしい。だから美智

代は伯父を無視したように話題にしない。よほど腹の虫が治まらなかったのか、いずれに

しても春の結婚式では顔を合わせることになるだろう。

「あのう岡田博士、【宇宙服】の方はどうなったのでしょうか」

 話の間が途切れたので遠慮気味に和子が声をかけて、岡田博士の顔に視線を向けた。先

ほどから気になっていたのだろう。あるいは風間の気持を察したのかもしれない。

「青山君、その件はどうなっているのかね」

「はあ、一応こちらで考案したものを洋裁の方に持ち込んでありますが。・・・・・」

「なにか問題でもあったのかね」

「いや、ただですね腰掛けた状態なので、滑りやすくするために大分厚くなるようです」

「そりゃまあ仕方ないだろうけど、ロボコンの方は二段階方式による開閉方法を採用して

いるから、たぶんうまくいくと思うんだが。で、いつ頃できてくるのかね」

「もうできてはいるんですが、実験といいますか、テスト中なんです。まるで本物の【宇

宙服】のようだったですよ」

「風間君、ええっと山下和子君だったかな。聞いてのとおりだ」

 和子がうなずくのを見て、岡田博士は風間の顔に視線を戻した。この時、施設長が二人

の職員を伴ってやってくるのが見えた。

 五日経って成人の日を迎えた。風間はネクタイを締めて新調の背広を着込んだ。和夫と

式に出席する予定である。最近は(ハートビル法)公共建築物バリアフリー化基準により

建設されたり、補修整備された施設も増えてきている。以前は形式的なバリアフリー化で

すまされているといったこともあり、高価な設備がシンボル的に設置されたのではないか

と疑いたくなるようなこともあった。今ではノーマライゼーションとかインクルージョン

(統合)といわれる理念、障害をもつ人がいるのは当たり前で、ともに生きていく(いけ

る)社会という考え方が広まりはじめているようだ。それでというわけでもないが、主催

者側の計らいで、風間はロボコンに腰掛けたまま、式場に出入りできた。

 風間と和夫が式を終えて、午後から待ち合わせ場所の料亭に着くと、和子がロビーの所

で笑顔を見せて待っていた。

「伸介さん、成人の日おめでとうございます」

「やあ御和坊、どうも、どうも」

 風間はにこっとなって、ウインクをして見せた。『まあっ』と和子は目をまるめて、う

ふっと吹き出した。和夫が風間の横にきて、和子の顔をギョロッとにらんだようだ。
            
「和子、おれには何もいってくれないのか」

「ああら、お兄さま、怒っちゃだめ。ちゃんとみんなで買ったプレゼントがあるのよ」

「うはっ、はははは、ところで御和坊、部屋はどこだい」

「さっきから皆まってるわ。こっちの方よ」

 さあどうぞというように手招きして、和子はクルリと背中を見せた。

「よっ、ご両人。もはや一人前の大人か。和夫、これからは自己の行動には自己で責任を

執る、法律上の大人だ。いいか自覚せよ」

 予約室に入った途端、和広のいかめしく野太い声が飛んできた。

「まったくもう、おやじときたら、そんなこと常識でござんすよ」

 和夫は不貞腐れたように『ちぇっ』と舌打ちをして、いかつい顔をいっそういかつくさ

せた。そして、プイッとそっぽを向いた。

「まあまあまあ山下さん、和夫君も伸介君もその辺りのことはよく分かっていますよ」

 藤田が取り成すように両手をあげて『ははっ』と笑った。つられて『ほほっ』と美智代

も笑った。文子が風間を手招きした。

「伸介、これがロボコンなのね。乗り心地はどうなの」

 文子は席を立つと、しゃがみ込んでロボコンをそっと撫ぜた。

「そりゃもう快適だよ。おまけに便利だし」

「そう、それはよかったわね。でも褥瘡は大丈夫なの。ひどくなると血液が腐るらしいか

ら心配だわ」

「母さん、おれ体重が軽いから心配ないよ。それに時々だけど身体を持ち上げて、おしり

の負担を軽くしているし、腕力のいい運動だと思ってやってるからね」

「じゃあ、トイレへの移動も自力でした方がいいんじゃないの」

「そ、それは違うよ。車椅子から便座に移るというのは、どうしても身体をひねってしま

うから腰を痛めて大変なんだ」

「それもそうよね。で、ロボコンでうまくいってるの」

「うまくも何もバッチリさ。今まで外出する時なんか飲食を控えていたんだけれど、これ

から先はある程度いいかも。・・・・・・・よし今日は遠慮なんかしないぞ」

「岡田博士には石井の兄を通じて、お礼をいってもらってるけれど、やっぱり一度会って

挨拶しとかなくっちゃあね」

「なにも伯父さんなんかに頼まなくっても」

 美智代が割込んできたので、文子はサッと立ちあがって顔をしかめた。

「美智代さん、いつまで石井の兄とケンカしているつもりなの。結婚式も間近だというの

に。いいかげんにしときなさい。そんなことじゃ信雄さんに嫌われるわよ」

「はい、お母様」

  美智代は率直に謝ったが、かすかに目元が笑っていた。その目を藤田の顔に向けた。自

分の名が不意に出たので、藤田は一瞬ポカンと口をあけた格好になった。

「料理も揃ったことだし、そろそろはじめるとしますか。・・・おおっと和子、プレゼン

トを渡してくれ。ふたりの門出を祝って皆で出し合ったんだぞ」

 和広がごつい手をポンと打った。釣り好きの和広の意見が通ったのだろう。プレゼント

は八本セットのルアーだった。

 二月末、そういえば、今年はうるうどし。人家の庭先では白やうす桃、赤い色の梅がま

っさかりに咲いている。【南光苑】での生活はいたって規則正しい。が、ともすれば、平

々凡々といった日々に陥りがちだ。もっともどこで暮らしていようが、それはそう大差が

あるわけではない。けれども少しでも刺激になればとか、リハビリを兼ねてとか、といっ

たことでなくてもレクリエーションとして施設が花見を企画した。

 特に風間のようなヤカラ、年がら年中パソコンとにらめっこしているヤカラにとっては

目のよい保養となった。と、同時に詩情をかきたててもくれた。

 午後、花見から【南光苑】に戻ってくると、和子がきていた。風間が帰るのを待ってい

てくれたのだろう。今日の和子は濃紺地に細かい水玉の入ったブラウスの上に、薄茶けた

スーツを着ていた。十九歳になったばかりの若い娘としては、かなり地味すぎる服装とい

っていい。しかし、それが実によく似合っているのである。

「や、やあ、御和坊。・・・梅の花・酒に浮かすと・いい香り」

「伸介さん、それなんなの」

「俳句だよ。俳句」

「えっ、それ俳句なの。・・・なるぼど、伸介さんらしい味覚的俳句だこと。でもなんだ

か変な感じ。・・・・・そうだわそれだと情緒がないのじゃないの」

「そうかなあ、俳句といえども自由詩だから、おれのはこれでいいんだ。それじゃ御和坊、

情緒をこめて梅の一句をどうぞ」 

「急にそういわれても、ううん。・・・・・・・梅咲きて・ウグイス誘い・風に舞う」

「いやはや、すごく情緒的な俳句だね。・・・ん、梅の花に誘われたウグイスが来てとま

り、さえずるわけか。そして、束の間の命を散らして風に舞う。よく吟味するとだね、花

のせつなさというか、はかなさみたいなものがにじみ出てくるんだよね」

「そんなに深く考えてなんかいないのよ。ところで伸介さん、パソコンからFAXに直接

文章を送信できるって本当なの」

「そうなんだ。今日きてもらったのは、そのやり方を教えるためさ。印刷したのをFAX

するより奇麗だっただろう」

「ええ、とてもすっきりしてたわ」

「それだけじゃないんだ。スキャナの代わりにFAXから文章や写真などもパソコンに取

り込めるんだからね。使い方を知っていると、とても便利だと思うよ」

「ええっ、ええっ、そんなこともできるの」

 和子は驚いたように目をまるく見開いて、風間の顔を見つめた。風間は今朝試しにパソ

コンから和子に宛ててFAX送信しておいのだ。

「自分でやり方を模索するのは難しいけれど、こうして、やって見せてもらえば、意外と

簡単なことなのよね。でもまだソフトのインストールもしていなし」

「帰ったらやってごらんよ」

「ええー早速やってみるわ。・・・・あ、あのう【宇宙服】だけど、明日もってくるそう

ね。どんなのができたのか楽しみだわ」

「御和坊、ここ南光苑には、両手足が不自由な上に話のできない方もおられるよね。で、

このロボコンをほんの少し改良すると、そういった方でも使えるんじゃないか、と思える

んだ」

「ある程度、自分の意思で行動できるようになるということね」

「そうなんだ。だから、明日岡田博士に話してみようかな」

「そう、そうね。それはいい考えだと思うわ。もう何かアイディアが浮かんでるのね」

「赤外線誘導装置つまり灯台のようなものを三、四ヶ所に設置する。それからロボコンの

方は個々の程度に合わせて、その身障者の方が使い易い位置にスイッチをつけるんだ。も

ちろんプログラムも書きかえるわけだけれど」

「口とか膝でもいいし、身体全体を動かしてもスイッチが入るようにするというわけね。

あっ、そうだわ。スイッチを入れるつもりがなくって、身体が動いてしまったような場合 

はどうするの」

「一回目に動いた時が入りで、二回目の時が切り、三回目で元に戻るというように設定し

ておくんだ。その繰り返し動作で操作できるんじゃないかな。それに物体感知センサーを

取り付けると、人や物との衝突を回避できるからね」

「なるほど、衝突しそうになった場合は自動停止するわけなのね」

 和子はうなずいて、右手の指をパチンと鳴らした。ここ【南光苑】はバリアフリー化さ

れた施設だから改良型ロボコンの使用も可能かもしれない。

「人に迷惑をかけないかぎり、自己決定権は尊重しなければね。生理的なことはいうまで

もないが。・・・・・・・・」

 ほんの一瞬ではあったけれど、風間はくやしそうに顔をしかめた。自分が身障者である

ことなど、普段は忘れているというより、意識上にないのである。特に風間の場合はパソ

コンで仕事をしたり、夢中になってネットサーフィンを楽しんだりしていることが多いか

らだ。それだけに意識したり、させられた時のショックは想像以上のものがあるのだろう。

「そうそう、そうよね。伸介さんとはこうやって話ができるけれど、でも言語障害のある

方はどうやってコミュニケーションをはかっているのかしら」

 しんみりとした雰囲気になりそうな気配を感じてか、和子が明るい声で話題を変えた。

「ひとつの方法としては、ひらがなを書いた紙を持っていて、それを指でさし示してとか、

というのがある。・・・ええっと、それから、トーキングエイドというのもあるよ」

「そのトーキングエイドってどんなものなの」

「携帯用のワープロみたいなもので、よく使う言葉は登録できる。で、登録している文字

やキーボードから打った文字を表示させて、それを読んでもらうのだそうだ。それに文字

音が出るので会話も可能らしい」

「へぇ、そんなのがあるって、ぜんぜん知らなかったわ。やっぱり伸介さん、福祉機器の

専門家だけのことはあるわね。・・・・・・・あっ、もうこんな時間」

 腕時計にチラッと目をやって、和子がくるりと背中を見せた。二、三歩行った所で振り

返り『じゃあね』と笑顔になって右手を振った。

 夕食後の習慣でインターネットに接続し、風間が受信トレイをのぞいてみると、岡田博

士からのメールが届いていた。急用ができたとかで【宇宙服】を持っていくのは明日の午

後二時ごろになると書いてあった。風間は和子に知らせた後、文子にも電話をかけた。

「さっき話したら、御和坊もくるそうだから送ってもらうといいよ」

「そう、じゃ昼すぎに和子さんとそっちにいくわ」

 お母様としては自分の口からロボコンの礼を岡田博士に言わないと、どうしても気がす

まないらしい。美智代の結婚式が迫っているので、文子未亡人はなんとなく落ち着かない

様子だった。

「姉御も子供じゃないのだから、本人に任せておけばいいのに」

「そうもいきませんよ。こまごましいことも多いのだから。それに。・・・・・・」

 こっちは片親だからよけい気を使うのよ、と未亡人としては言いたいのだろう。

「それならどうぞお好きなように」

 風間はガチャンと受話器を置いた。それにしても姉御と伯父は仲直りしたんだろうか。

「しょうがねぇな。ふふふ、まあいいか」

 ロボコンに腰掛けたまま、ぼそっと風間がつぶやいた。





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著者  さこ ゆういち       
小説 介護ロボコン
第四章 愛と希望