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アローの活躍
 庭の片隅で桜の花がちらほらと咲きはじめている。あと三日も経てば、満開になる

だろう。

 アローもかなり大きくなった。体長は成犬と同じくらいだが、肩から頭部にかけて、

まだまだ発育するらしい。

 秀雄君は冬の間もアローの訓練を続けてきた。

 春休みが終われば、秀雄君も五年生だ。

「いい天気だな。父さんたちは鰐塚山に行くけど、秀雄はどうする?」

「ぼくは、せせらぎ荘の下で釣りがしたいな。アローも連れて行っていいでしょう」

「ん、まあな」

 沖水川の上流域は都城市に隣接する三股町だ。その平野部を通り過ぎて、さらに川

沿いの県道を登って行くと、緑を映す水面に、しぶきを落とす長田峡がある。

 そこ辺りから上流がヤマメやウグイの釣り場だ。付近には、しゃくなげの森やツツ

ジケ丘があり、池ではニジマスを釣らせてくれる。

 けれども、秀雄君が狙うのは谷間の清流だ。

 午前十時半ごろ釣り場に着いた。

「秀雄、ここで釣っていろよ。帰りに寄るからな」

「山菜採りで、少し遅くなるかもしれないけど、お昼はここで食べるわよ」

 川は道路から、かなり下を流れている。

「アロー行くぞ」

 車から降りて、アローがしっぽを振った。

 お父さんたちの乗った車が遠ざかると、秀雄君はアローと共に杉林の小道を下って

行った。

「わあっ」

 不意にアローが跳びかかり、秀雄君を横倒しにしたのだ。

「なにをするんだアロー」

 草むらに座り込んだままで、秀雄君がアローをにらみつけた。

 なに事もなかったようにアローは寄ってきて、秀雄君の手足をなめた。

 信頼し合っているはずのアローに、秀雄君は裏切られたような気持ちになった。

「なんだ、こいつ、ふざけているのか」

 秀雄君はアローの頭をポカンと叩いた。少し気がすんで落ち着いたようだ。

「でも、なにか変だな」

 秀雄君は不可解に思った。今までになかったアローの行動だったからだ。

 立ち上がって、行く手を注意ぶかく観察した。

「わっ・・・ヘビだ」

 このところのポカポカ陽気に誘われて、出てきたのだろう。岩かげにマムシがどぐ

ろを巻いていた。

「助かったなあ。アローありがとう」

 秀雄君はアローを撫でてやると、岩をめがけて石を投げた。音に驚いたのか、マムシ

は木立の中に逃げていった。

 途中からトンネルのように枝や葉が覆っていたので、川岸に出ると急に視野が開け、

ひときは明るくなった。

 澄み切った水は谷間から流れてくるが、そこだけは川原のように広い。

「スワーレ・・・・・フセ」

 足元にアローを伏せさせて、秀雄君は釣りの準備にかかった。

 広い浅瀬から急に落ちて、川幅がぐっと狭まっているので、二メートル下の流れは

深くて急だ。

 ミミズを釣り鈎に刺して、秀雄君は竿を振った。

 オモリをつけていないので、ミミズは水面を流れていく。

「おっ、魚だ。・・・・・・・・きた」

 大きな沈み石の影で銀鱗が光り、竿にゴッンと当たりがあった。

 釣り上げたのは二十センチほどのウグイだった。

 他に誰もいないので、とても静かだ。瀬の音だけが軽やかに響ている。

 青緑色の美しいカワセミが浅瀬の宙に浮いていた。

 清流釣りでは、魚の方からエサに飛びかかってくるようだ。

「ほいきた。・・・・今度のはヤマメだぞ」

 秀雄君が竿を振ると、同じぐらいのウグイやヤマメが釣れた。

 七匹目を釣った時、ふと足音が聞こえてきた。

 急いで来たのか、息をはずませながら女の人が声をかけた。

「小さな男の子が来ませんでしたか?」

 どうやら、その子のお母さんらしい。なんだか慌てた様子だ。

「いや来ないけど、どうかしたの?」

「車に乗っていたんだけど、ちょっと目をはなしたスキにいなくなってしまったの。

どこへ行ったのかしら」

 子供が迷子になったらしい。こんな山の中に迷い込んでは危険だ。

「車はどこにあるの?」

「むこうの方よ」

「アロー、コイ」

 そこに釣具を置いたまま、秀雄君は女の人と車の所まで駆けて行った。

「あの帽子、ちょっと貸してくれませんか」

 秀雄君が車の中を指さした。

「はいこれ。・・・・ああどうしましょう」

「確か一、二キロ下った所に派出所があったはずです。おばさんはそこに行って、こ

の事を知らせてきて下さい」

 あまりにも、おばさんがおろおろしているので、秀雄君が指図した。

 小さな野球帽を受け取ると、秀雄君はアローに匂いを嗅がせた。

「わかったわ。お願いだから捜しててね」

 車に乗り込みながら声をかけると、おばさんは県道を下って行った。

「アロー・・・サガーセ」

 アローは子供の匂いを嗅ぎ分けたようだ。すぐに追跡を開始した。

「ここから入ったのか」

 アローは県道を少し追った後、脇道に群がる杉林の中に入っていく。

 幅二メートル足らずの林道だ。両側は杉がびっしりと立ち並んでいて、見通しがき

かない。

 アローの後を追って、秀雄君は山の中へ中へと登って行った。

 空は枝葉に覆われ、日陰の林道はじめじめとしている。時々、ひんやりとした風が

微かに吹いてくる。

「おっ、ヤマドリだ。・・」

 鶏を小さくしたような、それでいて美しい鳥が行く手の雑草からピョコンと跳び出

てきた。

 アローや秀雄君に気づいたヤマドリは、慌てたようにピョンピョンと跳ねて杉林の

中に逃げて行った。

 林道は下りになった。季節に敏感なのか、山桜が満開だ。

「おやっ、ふたてに道が分かれているぞ。それに、こんな所に谷川が流れている」

 頭を低くして追跡を続けているアローが左側の林道を進んで行く。

 別の杉山に入ったようだ。谷川に沿って林道は曲がりくねっている。

 また登り道になった。

「あれは何だ。リスかな。いや、イタチだ」

 イタチが尻尾をなびかせて、すばやく前方を駆け抜けて行った。

 目もくれず、アローは進んだ。

 しばらく進むと、しぶきの流れ落ちる音が聞こえてきた。

 アローが立ち止まり、谷川の方を見下ろしている。

『クオーン、クオーン』

 そして低く唸った。

 雑草や木立に隠されて姿が見えないけれど、どうやら迷子に追いついたらしい。

「行け、アロー」

 秀雄君はアローの首輪に掴まりながら、木立の間をすり抜けて、斜面を下った。

 ついに秀雄君は迷子を発見した。

「もう大丈夫だから、泣かなくってもいいよ。・・・ほら、この犬かわいいだろう。

アローというんだよ」

 男の子の手前に伏せて、アローが尻尾を振った。

「アローアローかわいいね」

 袖で鼻水を拭って、男の子はアローの頭を撫でた。

「ぼくのお名前は?」

「ええっとねぇ、けんいち」

 べそをかいていた健一君も今はけろっとしている。怪我もしていないようだ。

「健ちゃんか。・・・・喉が乾いたな」

 すぐそこに澄み切った水が流れている。細い滝が岩底を削るように落ちていた。

 岩の間にしゃがみ込んで、秀雄君は両手で水を掬って飲んだ。

 とても冷たい水だった。

 アローも寄ってきてペロン、ペロンと舌で飲んだ。

「さあー帰ろうか」

 秀雄君は健一君を背負って、崖を這い登った。

 かなりの急斜面だったが、木立を掴んでどうにか林道へ出た。

 秀雄君は健一君を地面に下ろした。

「人を連れてくるんだアロー、行け」

 秀雄君が右手を水平に上げた。

『ワン、ワン、ワン、ワン』

 秀雄君たちの方に高々と吠えると、アローはくるりと向きを変え、猛然と走ってい

った。

 秀雄君は健一君の手を引いて、ゆっくりと歩いた。

 やがて、二人は峠付近まで戻ってきた。

「いい眺めだな。健ちゃんも見てごらん」

 びっしりと詰まった木立の片側が途切れていた。

 追跡中はアローの後を追う事に夢中だったので、秀雄君はここを気づかずに通り過

ぎたようだ。見下ろすと、小高い山々が連なっている。その間をくねるようにして県

道が遥か下方に小さく延びていた。

 二人は黙々としばらく歩いた。

 健一君が少し疲れたようだ。

『ワン、ワン・・・ワン、ワン』

 アローが秀雄君の方に駆け戻ってきた。

「おおーい、大丈夫か」

 アローが連れてきたのだろう。お巡りさんや数人の村人が杉林の陰から姿を

現し、その中の一人が叫んだ。

 少し遅れて健一君のお母さんもやってきた。




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警 察 犬 ア ロ ー
著者  さこ ゆういち