アネモネ
まだ、空に星の輝きがかすかに残るほとんどの人が温かい寝具に包まっている時間。
久々のやわらかいベッドの上で目を覚ましたガウリイは、同室だったゼルガディスを起こさないようにそっと部屋を出ると、そのまま外の通りへと早朝の散歩に出かけた。
仲間たちとにぎやかに歩くのも好きだが、こうやって1人で静かな町をゆっくりと、足の進むままに歩くのも好きだった。
通りの端まで歩いてくると、朝の早いパン屋から香ばしいパンの香りが流れてくる。そんな香りを嗅ぐと、早く皆のところに戻って朝食が食べたくなる。
ガウリイはくるりと方向を変えると、宿屋のほうへと足を向ける。しかし、数歩進んだところで、ぱたりとガウリイが足を止める。
(何か……)
違和感を感じて振り向くが、町並みに変わったところなど無く、そのまま気の迷いとして一歩踏み出したとき。
「うわっ」
急に自分の間近に現れた気配に、身をかわそうとしたところを相手に腕をつかまれ、少しガウリイがバランスを崩す。
体勢を立て直す間に、相手が何者であるか悟ったガウリイは、距離を取ろうと自分の右腕を掴んでいる手を振り払おうとするが、相手はそれがわかっていたらしく、ガウリイの腕がひねり上げられた。
「……っ」
反射的に体を返してその束縛から逃れようとするが、体重をかけた軸足を払われて腰を落とす。そしてそのまま腕は解かれないまま左手も一緒に拘束される。
剣術だけではなく体術のほうにも秀でているガウリイだったが、技で立ち向かえるような剣術ならともかく、力押しのような体術ではこの手の相手には分が悪く、それを認めたときに足掻くのを止めた。
膝を突いた姿勢で後ろから両腕とも拘束された。
実のところガウリイが気づいていたのは、自分に対して敵意を持っているものがそばにいるということだけで、一連の動きが終わったときに、相手を確認して僅かに目を見張った。
そのガウリイの首筋に、彼のものではない一筋の髪がかかる。
ガウリイは、その髪がまるで鋭利な刃物であるかのように体を強張らせる。
「……、まさかこれほど上手く行くとはな」
耳元で囁かれた言葉に、そちらを仰ぎ見ると金色に輝く瞳とぶつかる。
人有らざる輝き。
冷たい輝きを宿しているその瞳を、ガウリイは睨みあげた。
「……何をする」
低く、声のトーンを落としているガウリイに動じる様子もなく、その瞳は微動だにせずガウリイの瞳を見つめ返す。
ガウリイは答えを促すように、相手の名前を口に乗せる。
「ヴァルガーヴ……」
その名がガウリイの口に上ると、ヴァルガーヴは僅かに唇の端を持ち上げた。
「俺はただお前たちの様子を伺おうとしただけだ。そんな時に1人で動き回っている奴を見かけたら手も出したくなるだろう?」
揶揄するような口調に、一瞬ガウリイは眉を上げる。
しかし、現状で相手を刺激するのは得策ではないと判断し、ガウリイは何も言わずそのまま顔を伏せた。
この状況で相手が今ここで殺すつもりならもう殺されているだろうし、そんな状況ならなんとしてでもガウリイも抵抗するつもりだったが。
どうやら今のヴァルガーヴには、そんなつもりはないらしい。
だからこそ相手の行動が不可解なのだが。
黙っているガウリイをどういう意味に取ったのか、拘束している腕はそのままにヴァルガーヴは言葉を続けた。
「別に今ここでお前をどうこうするつもりはない。俺の目的はお前じゃないからな」
言外に、お前は取るに足らない存在なのだと告げる言葉。
その言葉をただ黙ってガウリイは聞いている。
ヴァルガーヴはそのガウリイの髪を掴んで下に向かって引っ張り顔を上を向かせる。
その痛みにガウリイが僅かに顔を歪めたが、すぐに元の表情へと戻る。
「お前が俺に協力してくれるとでもいうのなら、歓迎するが」
ガウリイはその言葉の意味が判らず、眉を寄せる。
その表情に、ヴァルガーヴの口の端が上がる。
「つまり、リナを裏切れと言っているんだ」
それでもすぐにはヴァルガーヴの言った意味を飲み込めていない様子だったが、その意味を飲み込んだときに、思わず立ち上がろうとして強く髪を引かれる。
「……っ。冗談じゃない、そんなことはしないっ」
「別にお前が応じるとは思ってないさ。選択肢として言っただけだ」
ガウリイの行動は想定のうちだったのだろう、急な動きだったにも拘らず完全に封じ込められてしまった。
「それだけはないから、言うだけ無駄だったな」
自分を信じることが出来なくても、彼女は信じることが出来る。そして彼女と共にある自分も信じることが出来る。だから何があっても彼女は彼女のままで守っていくと決めた。
ガウリイはさっきよりも強くヴァルガーヴを睨みつける。
「期待はしていないさ」
その言葉と同時に束縛を解かれ、ガウリイは少し状態をよろめかせ地面に片手をつく。
「気が変わったならいつでも言ってくれ。どうせ俺はお前たちの命を狙うために常にそばにいるんだから」
ガウリイは何も答えずただ睨みつけるだけだった。
end
蛇足へ
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