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俊一の50歳からの手習いU

「スノーボード」

    2006年3月12日  全日本トライアル選手権第1戦真壁大会
   我々「teamいんぷす」は、といっても家族だけだけど。3月11日昼ごろ宮崎を出発、12日昼前、現着。
 車中泊で大会に挑む。成績はいつもと同じくらい、国際A級クラス、新伍24位、貴幸37位。
大会終了後、我々は長野へ向かう。
  3月13日 真壁から長野県上田のインターに着いたのはは、夜中の12時が回っていた。菅平高原に向かう、道路の雪が少しづつ多くなるが、少し滑りながらノーマルタイヤのハイエースで登って行く。やっと菅平高原に到着して、直ぐに車中泊。
朝、目が覚めたら、雪が積もっている。周り一面、雪だけ、我々南国宮崎の人間にとっては考えられない風景だ。
コンビニで弁当買って、朝食。リフト券を買う、今日から割引になって、1日券3300円なり。
リフトで頂上に登り、初めてスノボを履く。
何もしないのに、ひとりでに滑る、よろけて足を着こうとしても足は固定されていて、そのまま、ドテッ。若いころは、サーフィン、スケボと色々かじっていたし、スキーも40代後半に2,3回経験があったので、滑ることにはすぐ馴れた。でも、曲がる感覚がまるで分からない。スケボとは全然違う。どうにか、自分なりの考えと、事前にビデオで観た「子供のためのスノーボード教室」を思い出しながら、どうにか曲がれるみたいなので、初心者コースを下りていく。少し進むとドテッ、曲がろうと思ったらドテッ、スピードが速くなると、激しくドテッ。何回転んだか分からないが、やっとの思いで、下まで下りて一休み。寒いと思いあまりに着込んでいたので、汗びっしょり。マフラーやインナーを脱いで、再びリフトで頂上へ。いつの間にか、新伍と貴幸とははぐれていた。又、初心者コースを下る。今度は、転ぶ回数も半分ぐらいになっていたが、スピードが上がると転び方が激しくなる。昼飯をレストハウスで食べて、休憩もあまりしないでリフトへ。
次は、他のコースへ、すぐに急な下り。普通には絶対滑れない、危険そう、近くで、スノボ教室の先生が説明しているの盗み聞きしながら、ボードを真横にしてバランスを取りながら、ゆっくり下りていく。そこを過ぎると、こちらも初級コースなのか、コースが広くて滑りやすい。ターンのやり方もコースが広いのでゆっくり考える暇があり、基本どおりにやれる。曲がる前に足を伸ばし曲がる方向に体をひねる。かどうかは分からないが、楽しい。このコースで何回も何回も練習した。
 少しは上達したところで、今日は疲れた。
 帰りを心配していた道路の雪も、4時ごろ帰る頃には、ほとんど解けていたが、ゆっくりの菅原高原を降りて、途中温泉に寄ってから、宮崎への帰路に着いた。

    2007年3月     全日本トライアル選手権第1戦真壁大会
  今年も、我々「teamいんぷす」は、トライアル全日本選手権に挑む。
 第1戦関東大会は、例年通り茨城県真壁町にて開催。今回は貴幸が仕事の都合上、参戦できず、新伍だけの参戦となる。
新伍の成績はいつものとおり。
 大会終了後、やはり長野へ向かう。国道の大衆食堂で晩飯を食べ、風呂に入り今日が終わる前に高速に乗り、長野県上田インターについた頃は夜中の12時少し前。そのまま、菅原高原に向かう。雪が降り始め、少し心配になってきた。乗用車が我々を追い越して、普通に登って行く後に着いて行ったが、我々のノーマルタイヤのハイエースではスリップしだし、とうとう、前に進まなくなった。やっとの思い出、Uターンして、チェン脱着所で生まれて始めての、かじかむ手でチェンを取り付け、時速10〜20km/hぐらいの運転で、どうにかこうにか菅原高原に着いた。
 朝、雪はやんでいい天気になったいた。
新伍と二人で、初心者コースを下っていく、1年間のブランクは50歳半ばの体は、すべてを忘れ、1からの練習だった、基本を頭で考えながら、滑っては転び、滑っては転び、小学生のように、一生懸命に練習する。少し慣れてくると、やはり、転び方も激しく、後頭部を思い切り打つ。
俺は、馬鹿か?この歳になって、こんな激しい転び方をしても大丈夫か?と思いながらも、楽しい。
 終わるころは、だいぶ上達して来た。
でも、明日は仕事、深夜の高速道路を宮崎まで帰る。
  

   2008年3月
 今年も、親子3人で関東真壁大会の帰りに、菅平高原へ、いつものとおりのコース。
1年に1回のスノーボードは、なかなか上達しない、同じ練習をしている、息子2人はさすが、トライアル国際A級だけあって、上達は早い。
とても、一緒について行くことはできず、1人で滑っている。

   2011年3月   
 ほぼ毎年、1年に1回の楽しみとして、長野に寄ってスノボをする。場所は、菅平高原から、白馬に変わり、続けている。
たまには、スノボは無理かなと、スキーをしてみる。


駐車場は一面雪で覆われ、その後も降り続けた

  2012年3月       全日本トライアル選手権第1戦真壁大会
近頃は、昨年ごろから、北関東の高速道路が広がり、長野までの時間がだいぶ短くなった。
今年は、コースター(マイクロキャンピング車)での移動で、ノーマルタイヤ心配しながら白馬へ向かう。白馬、岩岳のスキー場に着いたときは少し雪が駐車場に積っていたが、どうにか移動ができ、近くの温泉にも、行けた。
 朝、雪は降り続け駐車場も30センチ以上積もっていた。
帰りを、心配しながらもゲレンデへ向かう。
スノーボードを始めてから、6年になる。 割と慣れたのだけども、やはり滑り始めは何回も何回も転ぶ。でも、確実に上手になっていると思っているのは自分だけ?60歳を超えた体に大丈夫なのかと問いかけながら、無理な遊びを続けている。
本日の天気は一向に良くならない、雪は降り続け、時折、10m先が見えない状態。滑っている時、周りの景色が全然見えなくなり、自分が、どっちに向かって、どのくらいのスピードで滑っているのが分からなくなり、大きく転げ落ちたり、コースからははずれそうになったりの状態。
 今回は、早めに切り上げて帰る準備、と言っても駐車場に止まってるコースターは雪に埋まり、ノーマルタイヤのままじゃ走れそうもないので、チエーンをつけることに、着替える前にどうにか取り付けて、駐車場を出る。すぐに、溝に落ちた乗用車が横倒しになっている。
スキー場を降りて、白馬の街の中に入ると、雪はタイヤのわだちだけ融けて、チェーンがガチャガチャとうるさいし、スピードも出せないので、スーパーの駐車場に寄って、チェーンを外す。駐車場の中は雪が積もっていて、少し滑ったが国道に出ると、なんの問題もなく普通に走れた。・・・・と思ったのは一時の事だった。白馬の街を抜けるとまた、道路の舗装路面は見えなくなり、しまいには周りが白一色になって、タイヤが滑り始めて、危険。ひやひやしながら、ようやくチェーン装着場に止まり、また、寒さの中、かじかむ手でチェーンを取り付ける。30分も山道を下って行くと、また雪が少なくなってきたが、今度はガチャガチャ言わせながら、完全に周りに雪がなくなるまで走り続けた。道の駅で、チェーンを外して、高速インターへ長野方面は、チェーン規制だったけど、名古屋方面は大丈夫。どうにか、大事に至らず、深夜の高速道路を走り続け、翌昼には、無事に我家に着いた。


帰りの国道、ノーマルタイヤでの走行は命がけ

  2013年2月      苗場、みつまた、田代スキー場
昨年、12月地元宮崎の五ヶ瀬スキー場で、1日練習して、この分じゃまだいけるなと自分で思い、61歳のこの体を試すために、特訓を計画立てた。2月の暇な時期にと12月のうちに、飛行機の早割チケットを取り、インターネットでいろいろ調べて、長野や新潟を調べ、苗場に行く事にした。格安のリフト券付きホテルのチケットを手配した。
 その時期になると、ANAのボーイング787機での上京予定だったのでどうなるかと心配していたが、他の便で行ける事になり、予定通り、新潟県苗場スキー場へ行く事が出来た。1泊2日の自己特訓を予定した。
新幹線で湯沢駅に着いたときから、雪が降り寒そうだった。苗場プリンスホテルで、荷物を受け取り、昼食を済ませてからゲレンデへ出る。
いつものとおり、最初は初心者コースで、ウォーミング、この冬は2回目とあって、割と慣れてる感じで滑れた。調子に乗って、他のコースに移ろうと、新雪のふわふわの中を滑って行くと、途中で進まなくなり、歩いて行こうと、ボードを抜いて、足を地面に着いたら、なんと、そこは50センチぐらいもの雪で、そのまま、足がズブッと中に埋もれてしまった。一歩進めば、片方がズブッと埋まり、必死でもがきながら、進んでいると、向こう側のコースから一人のスキーヤーがこちらを見て、心配しているのか、笑っているようにも見えたけど、助けてくれようとはしなかった。どうにかこうにか自力で、脱出することができ、座り込んで休憩。そのスキーヤーは、にこにこしながら、手を振って軽快に滑って行った。
きょうの天気は、あまりいいとは言えない。雪はだんだん激しくなり、風も強くなってきた。本日は早めに切り上げて、明日の天気を祈るしかない。
 温泉に入り、食事を済ませ、わざわざ、宮崎から来て、ホテルのベッドに一人で寝るのも、ちょっとわびしい気もするけど、明日の天気を期待しながら、早めに眠りに着いた。
 朝、目が覚めて、カーテンを開けると、素晴らしくいい天気。心ウキウキで、朝食をしてゲレンデへ向かう。
今日は、昨日悪天候のため運休していた、ゴンドラに乗って、田代、みつまた方面に行く事にする。
今日は、昨日よりも慣れていて、天気もいいし、何かいい調子。
ゴンドラに乗る時、同輩ぐらいの女性と一緒になり、田代での道案内を頼んでみたら、やさしく引き受けてくれて、一緒に滑ることにした。でも、彼女はとても同輩ぐらいには見えず、20代ぐらいの後ろ姿で、いつの間にかいなくなった。必死で後を追ってが、もうその辺にはいなく、おいて行かれたと思いながら、滑って行くと、途中で、待っててくれた。「ここは、スピードを出さないと、止まってしまうよー」と、はっぱをかけられた。それでも、途中で、止まりそうになると、「押すよー」と言いながら、背中を押して進ませてくれた。友達と一緒に来たという彼女は、スキー歴20年以上で、ここでのスキーも慣れてるみたい。そのやさしくしてくれた、お姉さんも、名前も、電話番号も聞かずに、仲間と一緒に、去って行った。何のアバンチュールもないままに。
天候にも、恵まれ、お姉さんにもやさしくしてもらい、途中、リフトで一緒になった、年齢は90歳になると言うおじいちゃんにも、元気をもらい、充実した1日で、スノボの腕もだいぶ上達したと思う。
 まだまだ、老けてはいられない、61歳のこの体はまだまだ、挑戦を続けるのです。

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